こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

4月です。

 

桜が満開の始まりとなりました。

 

希望を胸に、新しい時間を歩みましょう。

 

本日急須の蓋のお話です。

 

 

今も絶賛家じゅうまるごとお片づけ継続中のぶどうさん。

 

一体何年やっとるんじゃ、というツッコミはなしでおねいがします。

 

ぶどうさんちは、物が多い。

 

ぼんやり年をとって余計な荷物を増やしたのはあるが、なにもしなくとも垢はたまっていくので、いつまでたっても片付かない。

 

じゃんじゃん捨てるのは性に合っていないので、使い切って捨てる活動を地道に続けている。

 

だから時間がかかるし、ある意味回り道の人生無駄遣いなのだけど、たぶん?ちょっとはましになっているはずだ。

 

ああ、いつスッキリ暮らせるようになるんだろう。遠い目。

 

ところで最近、また急須を割ってしまった。

 

正確に言うと、急須のそそぎ口の部分をちょっぴり欠けさせてしまったのであって、全体は無事である。

 

茶葉を入れてお茶を入れる分には何の問題もない。

 

よって現役続行中なのだが、欠けた食器を使うのはよくないので一応買い替えを検討中だ。

 

前回も、やはり急須のそそぎ口の部分で、欠けではなくひびが入ってしまいサヨウナラした。

 

どうやらぶどうさん、急須の注ぎ口をダメにする天才らしい。

 

ダメにする急須は、どれも注ぎ口が突き出ている昔ながらのタイプだ。

 

注ぎ口が突き出てないものは割っておらず、10年以上にわたって使っているものがある。

 

割る原因は、洗った際に注ぎ口をどこかにぶつけることだろうか。

 

そうしてダメにした急須は、いくつになるだろう。

 

もらったり買ったりして、少々邪魔でさえあった数々の急須は、おかげでほぼ全滅してしまった。

 

残りは、小さめのガラス製のティーポットと急須、そしてステンレスのティーポットだけになった。

 

食器棚がすっきりしたのはいいことだが、一方でたっぷりの健康茶を飲むために現在使っている、大き目の急須のかわりがない。

 

ガラス製のものを代わりに使いもっと食器棚をスッキリさせるのか、それとも割ってしまった急須の代わりを買うか。

 

悩んでいるので、まだ欠けた急須を使っている、という状態だ。

 

買い替えのほうが優勢なのだが、ガラス製の急須はともかくティーポットのほうは全然使っていない。

 

(ガラス製の急須は朝の緑茶用として使っている。ステンレスはコーヒーサーバー)

 

使わなければ、そして使い切らなければ一生居座りそうだ。

 

小さなティーポットと言えど、邪魔である。

 

容量的には全然足りないけれど、物はつかってこそ。

 

ただ、ティーポットだと健康茶を入れる網(ザル?)が必要で、探しても合う市販品が無いのである。

 

少々合わないものを入れて使わねばならず、そこが嫌で使わないようになったのだ。

 

けれど。使い切って、さっぱりとさよならしたいので、ここは使うことにしよう。

 

そして次の不燃ごみの日には、欠けてしまった急須とさよならをすることにした。

 

それにしても、急須を捨てるときいつも躊躇することがある。

 

ぶどうさん、蓋は絶対に割らないので、必ず蓋をどうするか悩んでしまう。

 

以前蓋だけ取っていたこともあるが、なんの用途もないので捨ててしまった。

 

今回も、カップの蓋になるかと、いろいろと試すが意外にぴったりとくるものがない。

 

やっぱり、捨てか(笑)

 

そういえば数年前。

 

実家の片付けをしていた時、食器棚の中で大量の急須の蓋を見つけた。

 

母も、急須の蓋を捨てられない人だったらしい。

 

本体は割れてしまって処分したのだろうけれど、蓋は問題なかったのだろう。

 

もしかしていつか蓋だけ割る時があるかもしれないと思って、とっておいたのだろうか。

 

その日が来ることは、なかったようだけどね。

 

ってことは、ぶどうさんにもその日が来ることはないのだね。

 

安心して捨てることにするよ、お母さん。

 

ありがとう。

 

それにしても親子だねえと、妙なところに血の濃さを感じるぶどうであった。