こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
雲の流れが速いですね。
春はあれた天気になりやすいと今更ながら気が付きました。
心は穏やかに参りましょう。
本日視力の低下のお話です。
この頃リビングダイニングで電灯を2つ点ける
以前はダイニングテーブルの上の電灯ひとつで夜を過ごすことが多かった。
ところが、それでは家の中が暗い。
それでリビングのシーリングライトも点けるようになった。
もともとは夜にピアノの練習をするため必要な時だけはつけていたのだが、いつの間にか弾かないときもそれが普通になった。
夜の部屋の明るさに関しては、夫婦で意見が真っ二つに割れる。
夫は昔からギンギンに明るい部屋を好み、私はまあまあな明るさがよかった。
これは、育った環境の違いだと思っていた。
夫の家は知らないが、ぶどうさんの実家では2連ついた蛍光灯の、ひとつだけしか点けなかったからだ。
細かい作業をするなど、必要な時は2連フルでつけたが、いつもは1つだけ。
けちだったのか、なぜだかわからないが、父は必ず一つにしていた。
ぶどうさんはそれが普通だと思っていたが、結婚した夫は違っていた。
一つでも十分明るいのに、2つ点ける。
ぶどうさんはただのケチなので、これには抵抗があった。
それにまぶしすぎるのだ。
それがどうして、冒頭の薄暗い部屋で過ごすようになったのかというと。
それは情報戦による。
夜は明るくし過ぎると交感神経が刺激されると、今や常識になっている知識がテレビやネットでばらまかれたからだ。
また、蛍光灯一辺倒だった昔の照明から文明が進み、照明の方法や電球の種類、色がえらべるようになった。
今や間接照明は当たり前、埋め込み型のダウンライトを多用して、天井にシーリングライトをつける人は減っているようだ。
ぶどうさんちも、それは同じ。
睡眠障害があるのでそれを防ぐべくなのだが、電球の色や強さには配慮するようになった。
ダイニングテーブルの上は温かい色のペンダントライトを、リビングには調光機能のついたシーリングライトをつけ、色や明るさを調整して極力交感神経が刺激されないようにしている。
慣れるとしかし、だんだん当たり前になってしまい、上述のように2つ点けて暮らすようになった。
なぜかなと思っていたら、思い当たることがあった。
視力が低下しているのだ。
細かい文字などはいくら目を凝らしても、まったく見えないことがある。
スマホの画面も、暗くなると、何が書いてあるかわからない。
楽譜はかろうじて見えるが、だんだん怪しくなってきた。
新しい老眼鏡を買いに行く時が来たのだろうか。
若い時から近視で、老眼鏡の導入は40台と比較的早かったのだが、普段使い用として一つ作るのみであった。
これが機能しないということは、ついに「手元用」「日常生活用」と眼鏡を分けなければいけない時がやってきたのかもしれない。
視力が低下すると、日常生活の質が低下する。
家が汚れるのだ。
そんなに神経質ではないし、熱心に掃除しているわけではないけれど、それでも普通に努力して毎日家を掃除しているのだが。
最近なにやら、スリッパの裏がガサガサするのである。
なにか細かい埃を踏んでいるのか、髪の毛が静電気でくっついているのか・・・。
さっき掃除したばかりなのに?と、床を見ると、なにやらごみが残っている。
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見えていなかったらしい。
がっくりとしながら、ふと思い出すことがあった。
ずいぶん前に高齢の伯母の暮らす家を訪れたときのこと。
きれいに掃除している部屋ではあったが、お手洗いを借りたとき隅のほうに細かい埃や汚れをみつけた。
お手洗いも掃除されてはいたのだが、細かいところは見えないのだろうと思ったのである。
他にも、猫を飼っているお宅を訪問したとき、やはり年上の方であったが、一見きれいそうに見える部屋の隅に猫の小さな毛玉が落ちていた。
猫が二匹もいれば、そうなるのかあと思ったものである。
これも、本人が見えていれば取り除いていたに違いないからおそらく見えなかったのだろう。
これから年老いていくぶどうさんち。
年老いて、小汚くなり、汚れが見えずに掃除できてない小汚い家に暮らす・・・・。
想像するだけでもしょぼくれすぎている。
ここは眼鏡屋さんにいって、ぴったり合う眼鏡を作らなければ。
50台は眼のトラブルが多いとも聞くので、眼科を探して検査をするのも悪くないかもしれない。
眼鏡は買えるし換えられるけど、目は換えがきかない。
大事に使って、美しい世界を見続けたいと思う。
最近見えづらくなってきた方、ほかにもいらっしゃいませんか。
御自身の目を大切になさってくださいね。
視力の低下を感じたら、十分な休養と、環境を整えること、そしてケアをなさってくださいませ。