こんにちは。
ぶどうさんです。
タイプミスしたとき、ぶどうさんのぶはブラームスやブルグミュラーのブと同じだと気が付きました。
日本人でぶが最初の名前の人ってほぼいないですもんね・・・。
ただの戯言です。お忘れください。
明日は建国記念の日です。
国民の休日を楽しみましょう。
素敵なお休みになりますように。
本日セーターと布団のお話です。
寒い。この冬はとりわけ寒い。
50過ぎてからは寒さと戦わないことに決めたぶどうさん。
朝晩寒さを感じたら即、条件反射的にエアコンのボタンをポチすることにした。
けちんぼのぶどうさんらしからぬ変貌ぶりである。
省エネが、とか節約が、とか考えている場合ではない。
人生の時間を有効活用し、健康寿命を延ばすことは自分のみならず社会全体のためになるのだ(と思う)。
それにしても、なぜにこんなに寒いのだろう。
ずっと気になりながらそのままになっていたのだが、今日、その原因がやっとわかった。
セーターを着ていなかったのだ!
毎年冬には、母お手製のセーターを必ず着ていたのにこの冬は一度も着ていない。
着ずに済んだのは、暖房を点けるようにしたからである。
つまり、暖房によってセーターの必要性がなかったということだ。
このことに気づいて、似たようなことを思い出した。
以前古いアパートに住んでいた頃のこと。
隙間風吹くような昭和の住まいであったため、お布団は厚手の羽毛ふとんでないと眠れなかった。
ところが、最新の賃貸マンションに住んだところ、その厚手の布団は暑すぎて眠れず不要となった。
以来、その厚手の布団は用済みとなり押し入れに眠ったままである。
人ではなく布団が眠りっぱなしって、どうよ?
それにしても、なんということでしょう!
家の作りによって必要な寝具が変わるとは。
これからわかることは、暖かいつくりの家であれば、高価な、厚手のふとんなどは不要だということだ。
家が暖かいと、多少の光熱費はかかるけれど、布団の購入費用やそれをしまうスペースを節約できるのである。
セーターの件も同じ。
家が暖かければ、厚手のセーターは必要ない。
薄手の羽織物があればいいし、そのほうがクローゼットはスッキリだ。
出かけるときに温かいコートが必要だけれど、今は新しい素材で安くて温かいものが出ているし、数は1、2枚あれば十分である。
そう考えると、後生大事にしている、まったく着ていない年代物のセーターはもう必要ないのかもしれないと思えてきた。
母の手編みのセーターをそのまま捨てるのが申し訳なく、着倒して捨てようと頑張って着ていたものの、若い頃に作ってもらったそれらは50台のぶどうさんには可愛すぎた。
そろそろ、手放していい時かもしれない。
押し入れに鎮座して眠ったままの厚い羽毛ふとんと、引き出しに何枚もある手編みのセーター。
度重なる引っ越しに持ち回りはしたものの、ただの無駄だったのだねえ。
なくしてしまったらすっきりするんだろうな。
羽毛ふとんは打ち直しができるため、もうしばらく考えようかとは思うが、やっぱり捨てることになるのかもしれない。
思いの外寒かった冬は、寒さだけでなく面白いことを教えてくれたものだと感心するぶどうであった。