こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
雪の影響は大丈夫でしたか。
雪は溶けるときに冷えるので、今日は温かくしてお出かけくださいね。
そして今日は7日。
七草がゆを食べて体を整えてくださいね。
素敵な一日をお過ごしください。
本日、初、のおはなしです。
年が明けて初めてすることを、よく「初○○」なんていう。
正月明けてもう1週間にもなるが、まだまだエンジン始動していないことが多いぶどうさん。
本日やっと!週末パンを焼くことにした。
初パン焼き(パン焼き初め)である。
恒例のことだった週末のパン焼き。
先々月から家族の不調により忙殺され疲弊していたため、少々燃え尽きていたといえばウソではないが、怠けていたので本当に久しぶりである。
久しぶり過ぎて段取りが悪い。
少々イライラしながらも、なんとかいつもの食パンが出来上がった。
またいつもの週末が迎えられる、迎えられるということ。
なんという幸せだろう。
それはもしかして偶然かもしれないのに当たり前に思い、当たり前と思って過ごし、そして次もまた来ると信じられる愚かさ。
当たり前を感謝し、もはや次を信じられなくなったとき、人は老いたことを実感するのかもしれない。
死ぬ直前よりは老いてから気が付くことは大事だが、しかしそれでは遅いような気がする。
人の時間は残念ながら限られており、その中でどんな時を過ごすのかが生きるテーマの一つとすれば、どのような心掛けで生きるかも大切だと思う。
だからこそ、小さなことに喜びと感謝を見出し、今この時を大切に、今ダメでも次は大丈夫という希望を抱いて寿命まで頑張って生きようと思う。
ただのパン焼きにずいぶんと話が飛んだけれど、正月が迎えられることや初○○を体験できる喜びと幸せをもっと大事にしなければという気づきは、人生折り返し地点を過ぎたから、かもしれない。
今までいろんなことをやって、どれも中途半端で極めたものはない。
辞めたり、あきらめたり、投げ出したりしたものが沢山ある。
手元に残っているものは、しぶとく生き残っている、ある意味執着のあること、なのかもしれない。
こういった執着は必ずしも悪いものではない。
しかし、それが自分を苦しめるのなら、あきらめてもいいという許可をしてもいい。
執着のあることに見切りをつけ取捨選択して新しいことに挑戦する余白を確保し、人生を喜びにあふれたものにしよう。
自分が幸せであることは、周りの人を幸せにすることでもある。
よって今年の目標は幸せであることを選択するにしよう。
そのためにどうあるべきかを、焼きあがったパンとともに考えるぶどうであった。
(結局は食い意地が張っているだけ?)