家 | たをやかなるみち

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豊かに美しく生きる大人の女性へのみちのり

 

こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

師走に入りました。

 

イチョウの木が黄色く高く空にそびえています。

 

美しいです。

 

秋の残りを愛でつつ、年の瀬までの日々を慈しんでくださいませ。

 

本日家🏠について、です。

 

 

 

終の棲家探しを始めたぶどうさんち。

 

今住んでいる場所と地域は、田舎だけどわりかし便利で、将来的にも困らなそうなところ。

 

しばらく住もうと思っていたが、事情が変わってきた。

 

集合住宅というものの良さはあるが、将来的な不安を実感したためだ。

 

良さは鍵一本で出かけられる便利さと、オートロックにより玄関までワンクッションあるおかげで防犯面で安心だし、断熱性も悪くない。

 

なにより、平面だ。

 

一方で集合住宅というものは、音がするし、ご近所の食事の支度のにおいがする!というソフト面だけでなく、設備や躯体の経年劣化によるハード面の懸念や集合体ゆえの運営の不透明さがみえる。

 

それに加え現在50台半ばのぶどうさん。

 

100歳まで生きるとなると、これから40年後の集合住宅って・・・どうなっているのだろう。

 

建て替え→引っ越しとか、90台でできるはずはなく、大規模修繕請求されるお金を持っているのか?と考えるとブルーになる。

 

この先終の棲家として購入するなら、集合住宅よりは戸建てのほうがいいのかもしれないと思うようになった。

 

(とはいえ、この冬の寒さにあたり、やっぱり集合住宅がいいかもなとも思いなおしたりしている)

 

どっちを選ぶかは、場所と年齢で決めることにした。

 

場所というのは、年老いても歩いて買い物ができ、駅まで交通機関を利用でき(またはタクシーで1000円以内)、公共施設にもアクセスのいいところであればいうことはない。

 

そういうところは、しかし土地のお値段が高い。

 

そこに上物を立てるとなると、すごい金額になりそうだ。

 

こういうところは、集合住宅のほうが初期のコスト的にはいいと思われる。

 

ただし集合住宅の場合は、共同所有のものと個人の管轄のものの交換や修繕費用が掛かるうえ、設備の陳腐化が起こるためその更新・追加費用も・・・となると、長く同じところに住むのは考え物だ。

 

集合住宅を買うなら、70歳くらいに終の棲家として購入したい。築30年で建て替えはないだろうし。

 

一方戸建ての場合はしかし、なるべく早く住みだすことに越したことはないと思う。

 

何にせよ個人の自由と責任なので、初期費用がたとえ高額でも維持費をコントロールすれば、長く住む前提ならこちらの方が安いかもしれない。

 

トータル同じくらいかかるのなら、好きなほうがいいだろうけれど、集合住宅の場所や建築年も、戸建ての土地探しも、どちらもかなり難しい。

 

望んでいる年や場所に望んでいる規模やグレード、価格帯の集合住宅ができるかはコントロールできない。

 

戸建て用の土地にしても、これでいいか、と安易に決めたくはない。

 

なぜなら、住む地域は非常に重要だからだ。

 

転勤族でいろんな場所に住んだけれど、町内会は様々で・・・、そして残念ながらあまり感心しなかった。

 

町内会は必須ではないけれど、戸建てだと入らざるを得ないだろう。

 

それにお隣が変な人でもおいそれと引っ越せないし。

 

↑などと、あーだこーたと言っていたら、最近2カ所で家の解体現場を目撃した。

 

どちらも比較的広い土地の戸建てで、古屋付きで売っていたのが売れなかったのだろう。

 

解体して、土地を売ることにしたようだ。

 

一つは2軒分、もう一つは、3,4軒分として分譲するようだ。

 

たまたま通りかかったら、家財道具を外に出し、家をバリバリと壊す現場を目の当たりにすることになった。

 

庭木が倒され、沢山の家具たちが庭に出され、窓は外され、ブルドーザーでバリバリと壊されるのを見て、なんだか神妙な気分になった。

 

人の生活が確かにあったあの場所が、主をなくして家もろとも消えていく。

 

家って・・なんだろうな。

 

そんな気持ちになってしまった。

 

家は、人が生きるのに必要なものだ。物もそう。

 

でも、生きている時だけ。

 

死んだら持っていけないし、あらいざらい抹消されていく運命だ。

 

生きるために、生きている間の暮らしのためにあるもの。

 

家に意味を持たせるのは間違いで、人生に意味というか充実をもたらすためのもの、であってそれ以上でもそれ以下でもない。

 

家はよい相棒だが、固執するものではなくパートナーシップを結べればいいのかもしれない。

 

何でもいいわけではないけれど、暮らせればいいのだからある意味何でもいい。

 

そう思うと、家を持つということが分からなくなってしまった。

 

終の棲家探しは始まったばかり。

 

死ぬまで自力で自分の生活をデザインできる、人生を有意義にできる家とは、いったいどんなものなのか。

 

答えを探すぶどうであった。