こんにちは。いかがお過ごしですか。
ご訪問ありがとうございます。
片付けをボチボチすすめているぶどうさん。
先日YouTubeをみていたら、「家の中で意識が届いていないものをなくすことが大事」ときき、ソワソワし始めた。
ぶどうさんは、「使っていないものがない家=使っているものしかない家」を目指している。
そして、使っているものは、大好きなものでありたい。
YouTubeでいう意識が届いていないもの・・・・・→忘れているもの?とは、いったい何だろう。
忘れているということは、いらないもの、興味がなくなったもの、好きでないもの、なくしたと思ってあきらめているものだろう。
けれど、意識が届いていない=忘れているだけなんだろうか。
自称けちんぼのぶどうさん。
意外に自分の持ち物のことを覚えている。
けれど、意識が届いているかというと、そうでもない。
あるのは覚えているけど、手入れは行き届いていないものが多い。
ぶどうさんの場合、忘れているというよりは、手入れが行き届いていないという図式かも。
それで、気になっていたアクセサリー入れをガサゴソしてみることにした。
ぶどうさんのアクセサリー入れには、ほぼ高価なものはない。
半分くらいもらいものの、おもちゃっぽい、でも全くのジャンクか一応本物という中途半端なものばかり。
それらをつけるかというと、ほとんどつけない。
おしゃれブームが到来したらつけるけど、おおむね忘れる。
じゃあ手放せばいいと思うが、まず売れない。そんなたいそうなものではないからだ。
けれど捨てにくい。
形見分けだったり、ちょっぴり金が使われていたりちいさ~い石が付いていたりで、燃えないゴミにだすにはちょっと。
自分に子供がいればあげられるけど、いないのでいつかは自分で処分するしかない。
そういえば昔、「捨てる技術」の辰巳渚さんの本で、自分のアクセサリーを親戚の子にあげようとしたら、いらないと言われて切なかったとかいうくだりがあったっけ。
これを読んで以来、安物アクセサリーを自分の子供以外にあげるのはNGだと知り、禁止事項にしている。
「もったいないね。蚤の市とかフリマとか出せるといいのに。」
などと思いながら、お目当てのものをやっと探し出した。
それは、イヤリング。
若い頃ピアスをし始めたので、イヤリングに用はない。
用はないけど、お気に入りのペンダントとおそろいなため、捨てられずにいた。
ほかのイヤリングは全部捨ててしまったが、一つだけ残ったこれをどうするか考えることにした。
そもそもピアスに変え、イヤリングをしなくなった理由が、耳が痛いから。
耳が圧迫されるとめまいがしてくるのだ。
ただ、このイヤリングはクリップ式で安定感があり、さほどきつく感じない。
出がけ間近のバタバタするときにつけるのは、ピアスより簡単だし、外してほったらかしにしてもなくしにくい。
旧時代のものと思っていたイヤリングよ、なかなかいいとこあるじゃないか。
それに気が付いたので、これから使ってみることにした。
最近はイヤーカフが流行っている。
古臭いイヤリングおばさんと若者に揶揄されることもないだろう。
ちょっぴり楽しみが増えたぶどうであった。