アクセサリーはほとんど身に着けないぶどうさん。

 

自分が目立てばいいの、若さと美しさがまさに宝石だもの、アクセサリーなんか不要だわ。

 

・・・・と図々しくうそぶいてこれまで来たが。

 

この年齢になってくると、ひかり物の手助けが必要になってきたように感じる。

 

買いもしないのになぜか大量にあるアクセサリーをしげしげと見て、活用するにしろ処分するにせよ、何とかしようと思った。

 

持っているものは、貰い物かチープな本物か手作りアクセサリー。

高価なものは持ち合わせてはいない。

 

チープな本物とは、昔の若者がしていたような代物。

細くて、小さくて、クズみたいな宝石とかついたやつ‥‥といえばおわかりだろうか。

 

バブル期の女子は、ブランドものや豪華な本物、大ぶりの偽物をつける人がいる一方で、ちいさくても本物をという人が多かった。

 

ぶどうさんはどちらかというと、そっち派。

ただし、アクセサリーにお金を掛けたい人間ではなかったので、有名ブランドなどは全く持っていない。

 

1000円くらいで買えるピアスとか、10000円で買える細いネックレスとか。

 

要するに、もし処分するにしてもぜんぜんお金にならないような、そんなものばかり。

 

それさえ数は多くはない。

 

多勢を占めるのは、貰い物と手作り不思議アクセサリー。

 

ほとんどが母からもらったものだが、むげに捨てるのは気が引ける。

だが、使わないし使えるにしても古すぎて怖いし(どこで壊れるかわからない)捨てるにはなかなかよくできているし。

 

何度出してはしまったことか。

 

けれど、これからはどんどん使おうと決めた。

 

使って捨てて成仏していただこうと。

 

早速、昔母が作った七宝焼きのブローチを普段着に着けてみた。

使ってみると、なかなかいい。

 

絶対になんにも合わない変なブローチと決め込んでいたが、秋物のワンピースにぴったりである。

 

気をよくして、これからも使おうと思ったその日の夜。

 

ブローチをつけていることをすっかり忘れて、脱いだワンピースを落としてしまった。

 

ガチャン!そして飛び散る破片・・・。

 

そう、お気づきだろうが、七宝焼きのブローチが衝撃で割れてしまったのである。

 

哀れブローチは、30年以上の時を待ち続けて、一日の活躍で世を去ったのである。

 

さよなら、ブローチさん。

お役御免だね。燃えないゴミに捨てるねとしおしおとごみ置き場へもっていくこととなった。

 

・・・・・その時、ぶどうは悟ったのである。(大げさな)

何事も、何物も、何人も、活躍するためにいるんだから、手元でめでて使っ手放さなきゃと。

 

もしや待ち続けて、待ち疲れて、日の目をみてやっと宇宙の果てへ帰れる喜びを、このブローチは表現したのではなかろうか。

 

気に染まず使わないなら、そのまま手放しもありかと。それもまた、ものの喜びかもしれない。

 

そんなわけで、まだまだある不思議手作りアクセサリーを使うか、使わないものは手放すことにした。

 

自分のものは、自分で決着をつけ手放す。

 

マダムにはそんな強さが必要だと思うぶどうであった。