とある事情で夫の家族一同と親戚の家を訪問することになった。
訪問先は、夫の伯父のお家。
姑の義姉である義伯母が、腕によりをかけご馳走を用意してくださっていた。
段取り上手、もてなし上手の義伯母は、手際よく料理をし、片付け、お茶を出しとフル回転でスーパー主婦ぶりを発揮。
一同のこころとおなかを満足させてくださった。
素晴らしい。まさに主婦の鑑である。
その義伯母が、ある場面でピシリと姑に釘を刺した。
そのせりふが。
「アンタじゃないでしょ、ぶどうさんと呼びなさいよ」
ぶどうさん、最初何のことやらわからなかったが、どうやら姑はぶどうさんのことをアンタと言ったらしい。
そのことを義伯母がたしなめたのだ。
そういえば。
姑はぶどうさんのことをアンタという。
夫の前ではぶどうさんと呼ぶが、用事があって呼ぶとき以外の会話中は大抵アンタである。
因みに、姑は当人と話すときに夫のことはチャン付け、他の子供はクン付けで呼ぶ。
そう考えると、姑にアンタ呼ばわりをされる筋合いはない。
親にさえアンタ呼ばわりはされたことがないし。
が、姑がアンタと呼ぶのを全く気にしてもいなかったのも確かである。
普段ならそういったことに敏感なぶどうさんだが、姑の言葉に関しては全く気にしないというか、姑の言葉はスルーなのであんまり気にならなかったのである。
しばらくして好奇心が湧き、ウェブ検索で「姑が嫁をなんと呼ぶか」というのを調べてみたところ、どうやらアンタ呼ばわりはとんでもないことらしい。
地域によってもアンタの意味合いは異なり、ここ西の国ではアンタはまあまあ普通につかわれるのであるが、こと姑が使えば「親しみを感じている」というよりは「嫁を格下とみていっている」ということらしい。
なるほど、格下ね。
実子に対しチャンやクン付けするにもかかわらず、嫁に対してはアンタ呼ばわり。
義伯母はそれが気になったのだろう。
指摘されるまで全く気がつかなかったが、言われてみればなるほど、アンタは感心した言い方ではない。
しかしなぜにぶどうさんが気にならなかったのか、今思えば不思議である。
つらつら考えるにおそらく義母との関係性がそれほど重要ではなかったためだろう。
どうでもいいというか。
そして、姑の発するアンタは、姑の無意識の思いが表れただけの言葉なのだろうと思われた。
この件での最大の発見は、普段気になる言い方でも「自分の中での優劣や関係の重要性の比較対象外」」が発したものであれば、意識にもかからないほどどうでもいいことになるし、スルー出来るということである。
また他者に接するときは無意識に何がしかの思いが言葉遣い、呼び方に反映されるので口から出る言葉に気をつけようと肝に銘じた。
言葉には十分注意を、名前や呼びかけには敬意を払うことが人間関係を保つ上で大切なことであると学んだぶどうであった。