住みネタが続くぶどうさん。
もういい加減にしたら~?と思うが、現在ぶどうさんの一番の関心事は住居のこと。
このブログテーマのように重要→住養なのである。
現在箱はこ生活しているぶどうさんちであるが、一方で、殆ど何にもない部屋がある。
たとえば、寝室。
ぶどうさんちの寝室には、基本ものがない。(布団はあるよ~)
押入れには不思議なものがみっしり入っているものの、寝る空間にはものがない。
もうひとつが、和室。
和室にあるのはこたつと、洗濯予定のこたつ布団、電話にラジカセくらいのもの。
逆にみっしりとものがあるのが、台所、家具を入れ込んだ部屋(足の踏み場もない)。
台所など、地震が来たら「それっ」と逃げなきゃならないくらいに危ないのである。
大袈裟でなく命の危険を感じる場所である。
現在の家では物のつまった部屋と何もない部屋を行ったりきたりしているのだが、あまりにギャップがあるのでだんだんと、とあることに気がつくようになった。
とあることとは、ものがある部屋は賑やかで、視覚的にごちゃごちゃうるさく、それをみると[なんとかしなくちゃ]という心理的に焦りがでてくるのである。
対してもののない部屋は、シーンとしていてさびしげに見えるが、その空白がなんとも美しい。
全く何にもないのは寒々しているといわれるが、なんのその、その部屋に使うあてがある限りは何もなくても美しいし、なんだかワクワクしてくる。
ものがないって、こういうことなんだと、擬似的ではあるが片付いた部屋体験をしているのである。
・・・足の踏み場もない部屋もあるんですけどね・・・・
人が生活する限りは、必要最低限のものや、生活を潤すものがいくつか必要である。
シンプルライフを目指すぶどうさんは、何でもかんでも切り捨てて、キツキツの生活をしたいわけではない。
好きなものや、好きなことをするものと心豊かにくらし、好きな人たちと時間と空間を共有しながら生きられるといいな、と考えているのである。
そのための棲家が家であり、体同様管理と手入れをしていくものであり、一生涯必要な場所なのである。
そう、生きる場所であり、内外ともにうまく付き合っていきたいものが家なのだ。
だからこそ、いま「住む」ということにフォーカスしているのだ。
住むところはどうでもいいことではなく、とても大事な問題なのである。
そして、いかに住むか誰と住むかも。
今この年齢で気がついて本当によかったと、心から感謝している。
根無し草であったが、これからは根っこを生やし根付く場所を見つけたらそこで根をはり大きな枝を広げるべく努力しようと決めたぶどうであった。