みなさん、お久しぶりです。
いつもゆるいペースにお付き合いくださりありがとうございます。
一体ここで何度この台詞をいったでしょうね?
ワンダフルライフを満喫する女、ぶどうのエッセイってことでのんびり長くゆるゆると続けますので今後ともよろしくお願いします。
さて、しばらくブログをお休みしていたぶどうさん。
休んだ理由は・・・とくにない。
書きたいことは、ある。
ついつい叫びたくなることも、ある。
それなのに気忙しくて落ち着いてブログを書いていられない。
時間的にそんなに忙しいわけではない。
他の人のブログを読む暇はあるし、ネットショッピング&妄想ショッピングする暇も十分ある。
妄想が過ぎて、勢いで買ってしまうというアクシデントも限りなくある。
そういうわけで、心身ともに元気です!
不思議なことに、ブログを更新しないとなぜかアクセス数が増える。
ひっそりやっている、あまり人の訪れないブログなのに、書かないときに限ってありえない数の方々がいらして、読んでくださっていたりする。
このまま更新しないほうが・・・・ヽ(;´ω`)ノ
いやいや、これまで交流はなくてもネットを通していろんな人に教えていただいてきたのだから、ぶどうさんもちゃんとお返ししないとね。
前振りが長くなってしまったが、復帰一段は「ちびた鉛筆」。
あんまり内容がないので前ふりにがんばってもらったのは、大目に見てください。
誰しもそうだが、成人してから、いや小学校の高学年くらいから鉛筆に毎日お世話になる人はそうそういないだろう。
ぶどうさんも、小学校3年生のときに買ってもらったキティちゃんのシャーペン(今はなんというのだろう?)以来、鉛筆のお世話になるのはもっぱらマークシート(死語?)と生協の注文書記入くらいである。
絵を描くわけではないし、赤ペン先生するわけでもないし、子供もいないしで、鉛筆自体殆ど必要ない。
必要ないのに、なぜか20年前くらいに1ダースの鉛筆を買った。
鉛筆が欲しかったからではない。
その当時ぶどうさんにとって画期的と思われた品だったからだ。
何が画期的だったかというと、その鉛筆は「持ちかたえんぴつ」という名で、指示通りに持てば理想どおりの持ち方をすることが出来るというものだったのだ。
持ち方がよければきれいな字が書けるかも?説明をみた瞬間ぶどうさんは妄想した。
大変悪筆なぶどうさんのこと、すぐにこの商品に飛びついた。
飛びついたが、買ってみて思ったのは「なんかめんどくさー」。
で、結局商品の指示通りに使うこともなく、ただの鉛筆として使用して今日に至っている。
そして、悪筆もそのまま今日に至る。
鉛筆も殆ど1ダースそのまま・・・以下省略。
現在は子供のための「鉛筆を正しく握る商品」が出ているので、もうこの鉛筆は売られていないと思う。
もしその商品を知っていたなら、鉛筆ではなくそっちを買ったに違いない。
そして悪筆も・・・以下妄想中・・・・・・
しかし何ゆえ具体的に使うシーンがなく、使いきれる当てもない鉛筆を、1ダースも買ってしまったのか。
試すなら1本ずつ買えばよかったのではないか?
今ならそう思える。
しかし当時はそういった考えが微塵もよぎることはなかった。
まだシンプルライフを目指す前の前、狭くもので溢れた家で暮らしていた、若き頃のぶどうさんの浅はかな買い物の仕方そのものであった。
鉛筆も消耗品だし、使いきれるでしょ。
お値段もダース売りのほうがばら売りよりちょっと安いし。
20年前の細かい記憶こそないものの、おそらくそんなことを考えて買ったに違いない。
時を経て少々黄ばみ、売価一本40円とプリントされた鉛筆が、計画性のない買い物の仕方を象徴しているようで悲しい。
で、その間使った鉛筆の数2本。とほほ。
残り10本は文房具のスペア入れに箱ごと入って鎮座している。
おそらく一生かかっても使いきれるかどうか怪しいブツ。
文房具入れを見直すたびに目に飛び込んでくる箱入り鉛筆。
使うあてがないので目障りである。
・・・・・この鉛筆を捨てるか?
なんど逡巡したことか。
さすがにそれはぶどうさんには出来ないので、極力メモ書きは鉛筆を使う生活をすることにした。
使えば、鉛筆は減る。
鉛筆が減るのではなく、芯が丸くなったら鉛筆を削るから減るといったほうが正しいが、使えばなるほど鉛筆はどんどん短くなった。
これなら1ダース楽勝!
使わない鉛筆にあんなに困ったのに、今度はちょっといいやつ買うか?などと調子こく始末である。
短くなったので、書きにくくなった。
沢山あるのだし減らしたいのだから、普通なら捨てるところである。
ところがそこがぶどうさん。
ちびた鉛筆をマジマジと眺め、どうにかやって最後まで使えないか考えた。
小学生ならまずここで鉛筆のキャップを、次に鉛筆ホルダーを考え付くことだろう。
実際ぶどうさんも鉛筆ホルダーを買いに出かけた。
しかし。
鉛筆1本40円に対して鉛筆ホルダーは結構なお値段がする。
それを買ってはものが増えてしまうし、鉛筆を使わなくなったら用済みになるのである。
買う意味はあるのだろうか?
いや、素敵なホルダーだったら買ってもいいと思った。
でも素敵なものは近所にはなく、昔ながらの金属の、いけてないホルダーしかないのである。
それなら買う必要はない。
鉛筆はどんどんちびてくる。
ちびてくると何が不都合かって、鉛筆が研げないのである。
鉛筆をじっと見ること数十分。
ぶどうさんはひらめいた。
えんぴつ、つなげればいいじゃーん
って、ことで、ちびた鉛筆を新しい鉛筆と連結。
無事、ちびた鉛筆はきれいに削られ、現役に復帰したのである。
なんと素晴らしい知恵!すばらしい使いきり根性!あんど節約魂!
自画自賛しているぶどうさんの横で、その一部始終を見ていた夫が一言。
「そこまで節約しなくても・・・それこそ捨てればいいのに・・・・」
このアイデアに陶酔しつつも異様に長く貧乏臭い鉛筆は、変に遠心力がかかり振り回しながら書くことになる。
はっきりいって、重くて書きにくい。
このぶんではこの先もぶどうさんの字がうまくなることは望めそうもないが、楽しみなことはある。
連結することでこのちびた鉛筆が一体どこまで使えるのか、何本繋げて使うことになるのか、箱ごと全部使い切れるのはいつなのか。
貧乏臭いだけで一円にもならないが、こういったくだらない楽しみもいくつかあると日々の潤いとなるに違い。
この貧乏くささに嫌気がさして突然切れてあらいざらい捨てる!なんて可能性がないでもないが、暫くはこのちびた鉛筆延命作戦を楽しんでみようと思うぶどうであった。