お気に入りのブログに遊びに行ったぶどうさん。


遊びに行ったといっても、コメント、足跡は残さず毎回読み逃げ。

まこと申し訳ない。かげながら応援させていただいております。


さて、そのブログの最新記事で「この春から町内会の役員になった」ことが書かれていた。


その方は持ち家で、住み始めて数年。

いつかは回ってくるだろうと思っていたが、とうとう今年あたってしまったと。


町内会の役員となれば退職後の男性の仕事であるが、そのお宅はまだ現役。

古い住宅地では高齢化がすすみ、現役か否かは問題でなく、また60歳前後でも若い者の部類に入るゆえ断りにくいらしい。


そういえば、ぶどうさんが以前住んでいた町でもそんな話を聞いた事がある。

そこは開発から40年ほどはたった、いわゆる過去の新興住宅地。


宅地開発が始まったばかりに家を建てた人達はどんどん高齢になり、町内会の役や当番をする人がおらず、比較的若い人に何度も回ってくるようになったと。


古い住宅地の若い人、とは代替わりの場合もあるが、大抵は初期に家を買った人が手放したものを買ったり、更地にして新しく家を建てたりした人たち。

世代も、その土地への思いも、旧住人たちとなんらかのギャップがある。


せーの!で、ともに新しく家を建てて一緒に年を経た古い住宅地にはそういった問題が、新しい住宅地もいずれはそうなる問題をはらんでいるのだと、内心驚いたものである。


家を買うことしか考えていなかったぶどうさんは、家につきものの自治体や組織といったことがすっぽり抜け落ちていた。


改めて考えれば、家を買えば自分の生活のなかに、近所の人もろともとの付き合いをも含むことになる。

付き合いの濃密さは人それぞれだろうが、疎であれば楽であるが疎まれ、密であれば心強い一方で双方疲れるものであり、非常に難しそうである。


そして、家を買えば、必然的に町内会に入ることになる。

最近は町内会に入らない人が多いとも聞く。

賃貸や転勤族の多い地域であhそうであっても、持ち家で町内会に入らない人はあまりいないだろう。


ぶどうさんのところも、賃貸ではあるが町内会に入っている。

一体何の意味があるのか全然わからないが、アパートに入居したら町内会に入らされる。


町内会からは市報が配られることくらいしか恩恵はない。

我が家では出産も死亡も全く関係ないし、よそ者ゆえ町内会の活動に関与することも無い。


義務はあって、町内会費を払うこと、半強制で寄付を募られること、公園掃除にかりだされるなどはある。


正直いって、町内会の活動がこの町にどこまで役に立っているのか、よくわからない。

東北の地震のときも、町内会はまったく機能しなかったのだから本当に意味がわからない。


町内会が無駄だ、とは言わないが、よそ者にとっての町内会参加は微妙だ。


地元の、町内会の役をやっている人から言わせれば、よそ者でなにもしらないくせにと思われても仕方が無いかもしれないが。

その町内会の役の人は、ぶどうさんが北国に来てからすぐに一度変ったきりで、何年も同じ顔ぶれだ。


好きでやっているのか、誰もなり手が無いのか、どっちかわからないが、そんなに何年も役を任せられると知っていたらひきうけたのだろうか。

この人たちの任期後、果たして次に引き受け手が見つかるのかどうかも、怪しい限りだ。


必ずやらなきゃいけないとしても、ぶどうさんなら最大2年まで、それ以上は引き受けませんというだろう。

住人が役を順にまわしてこそ組織の公平性や透明性が保たれると思うし。


家を買う。家を建てる。


住む場所も、予定も全く無いにもかかわらず、このことにこの頃少し舞い上がっていた。

どこに住もうかな、いつ頃住めるかななどと想像を膨らましていたが、町内会のことを思い出してからというもの、かなり現実に引き戻されてしまった。


買うのは家ばかりでなく、土地や土地の人まで引き受けるということが全くわかっていなかったのである。


終の棲家を、という夢は町内会という現実からスタートさせるべきものかもしれない。


しかし。

町内会の内情は、住んで見なきゃわからない。

町内会の顔ぶれが変っただけでも雰囲気はかなり変るというし。


一体どうやって家探しをすればいいのか、途方に暮れるぶどうであった。