パソコン画面のWEBキーワードにふと目を落としたぶどうさん。
そのキーワードとは、「直葬が関東で増加」
一体何のことだろうと、ついその部分を開いてしまった。
すると、そこにはNHKのニュースか何かで上記の件が報道されていたとの由。
新聞やテレビニュースなどで取りざたされる世事にはものすごく疎いぶどうさんのこと、直葬が公に語られているとはしらなかった。
もっともこのニュースが、統計に基づいて出された事実なのかだれかが意図して出したものなのかはわからないので、そうなのかしら、とだけしか聞くつもりはないが。
ところで「直葬」とは、文字からしてなんと読んでいいのかわからない。
「ちょくそう」という人もいれば、「じかそう」という人もいるようだ。
いつからこの言葉があるのかわからないので、どっちが正解かわからないが、そこは文字の便利なところ、ここでは直葬でいいことにした。
ぶどうさん、この直葬ということばを今回初めて聞いたわけではない。
初めて聞いたのは、父の口から、である。
ぶどうさんの実家は、信仰心はあるが宗教心ゼロ、で神棚も仏壇もない。
墓参りなどの先祖の供養と神社参拝は行うが、それ以外は全くせず、よって日常生活に宗教観はなかった。
両親は昭和一桁世代なため、生死の薄い隔たりの中、戦中戦後の人や国の繋がりも裏切り行為もつぶさに見てきたような人たちだ。
宗教に傾倒する気にもならず、現実を生きることのみに終始したためか年老いるまで入信せず、死んだらそれでおわりだから宗教に頼りたいとは思っていない。
父がそう考えているのは知ってはいたが、、「直葬っていうか、あれでいい」とずばり父の口から言われるとは、考えてもみなかった。
坊主に経を読んでもらったり戒名をもらったりは意味がないとして、父の性格上断るだろうなと思っていたが、さりとて他の兄弟との兼ね合いもあり、ぶどうさんがすぐさま「うん」というわけにはいかない。
「このことは、お兄ちゃんにも言った?」ときくと、まだという。
直葬にするということは聞いておくけど、そして、多分その通りにするけど、一応喪主になる可能性が一番高いのは長男だ。
長男に話をしてくれておいたほうがスムーズにことがすすむと、やんわりと言うにとどめることにした。
葬式は、本人のためだけじゃなく残された人のためにする、というのもあるのだから。
ぶどうさん自身は現在無宗教で、将来何かに帰依することはないだろう。
子供がいないため、墓も立てられないし、位牌があっても守る人はなく、法事もやってもらえるとは思えない。
なにより老後の生活のほうが最重要課題であり、死んだ後の金までは考えられはしないし、残すつもりはない。
葬式に〇百万?
戒名に〇百万?
墓に〇百万?
供養代に〇十万?
一体死ぬだけでいくらかかるのだろう。
死んでも金がかかるなんて馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
最低限の出費で、最小限の労力で死んだ後始末をするなら・・・やっぱりぶどうさんも直葬になるだろうか。
直葬とはいえ、死んですぐホイと火葬して終わりではない。
遺体の安置やお棺、火葬代などもろもろのお金が必要で、20万前後~30万近くはかかるらしい。
50万は高すぎ、とのことだったので、目指すなら20万ってところだろうか。
意外や、やっぱりお金がかかるのである。
死んだらどうするか、より死ぬまでどうするかというのが生きる上では大事なことだ。
それでも、親が、家族が、自分が人生を終えるときどうするかということを元気なうちに話し合っておくのもまた、必要なことだろう。
こういう話題に敏感になるのも、親を見送る年齢になってきたからだろうか。
年を取っていく親と、そして例外もれず自分も年をとっていっていることを痛感するぶどうであった。