本日のニュースで。


全国の里親を支援するために厚生労働省が来年度予算の概算要求を盛り込んだとのこと。


詳しくはwebニュースをご自身の目で確認ください。


この背景には、家庭を持った人は衝撃を受けたであろう、記憶に新しい事件があるようだ。

その事件とは、某声優の女性が里子を虐待死させたという疑惑で逮捕されたというもの。

ニュースによると現在起訴されているようである。


事件当初から今まで、この家庭の中で何が起こっていたか、というのはまったく公にはされていない。

起訴されているということは、取調べが終わりあらかた全貌が明らかになった上での措置であろう。


プライベートな問題も絡んでくるため、今後これが公になることは難しいのかもしれない。

けれど再び同じような事件が起きないように出来る範囲内で公開し、広く国民全体に社会の中にある問題を知らしめ考える場を設け対応出来るようしていただきたい。


里親による虐待死事件に関しては、衝撃を受けたというよりも「なぜ」という気持ちのほうが大きかった。

実子もいる里親が、なぜそんなことになったのだろうという疑問のほうが大きかった。


その後しばらく里子や里親に関するHPやブログ、SNSの中のコミュニティを徘徊し、真偽や公平性はわからないものの、公に発言している文章を見つけては読んでみた。


そして、どうも里親や里子の間には温度差があることに気がついた。


里親のほうは、「いくら子供の年齢の早いうちに引き取りたいといっても引き取れず、やっと引き取れたときには施設に長いこといたことにより愛着障害が起こり、里親の下に来たときには双方にとって再び忍耐と修正の日々が始まる。けれど、それを越えたら愛情による結びつきがうまれる」というエピソードが目に付いた。


試練はあるが、そしてその試練は子供によるものというよりは施設の都合で引き伸ばされたことで引き起こされた障害によっての試練で、結果としては引き取ってよかった、というものだ。


しかし里子のほうは、引き取られてよかったという意見は殆ど見られなかった。

それよりも、家庭という社会から隔離された場所で何が起こるかわからない所に行かされるよりは、施設で育てられたほうがよいという意見がいくつか見られた。

悪いのは里親のほうであって非は里子にはないという意見のほうが多いのも印象的だった。


もっとも、匿名にせよ公にされた意見が多数の声であり絶対というわけでなく、中には違う人もいるだろうしこれを鵜呑みにすることはできないが。


里子の中には、「里親はお金をもらえる。それを適切に里子に使っていない」という意見を言う人もいた。

たしかに調べてみると、里親は里子一人に対しいくら、というお金を支給されているし細かい支出に関しても出してもらえるようだ。


つまり里子を引き取ったからといって里親がすべての面倒を見ているのではなく、社会からお金は出ている。

愛情や家庭という場を味あわせるため・・・といえばその通りの分を供給するのであって、他の面では社会のお世話になっているのである。

しかも適切に里子に使われていないとすれば、その社会のお金は一体どこに使われることになるのか。


誤解されないよう一応言っておくが、けっして里親を非難しているわけではないということを理解していただきたい。

里子を擁護しているわけでもない。


事件が起こったことで、里親の支援をしようということが持ち上がった。

これは、里親や里子制度がある今の状況に対しては前向きではあると思うが、さりとてこれ以上お金をもって解決しようとして解決できる問題ではないという気がする。


はっきり言おう、これはただの行政の怠慢である。


今回のことで、この里親や里子制度というもの自体、そして両者を介する施設や行政のあり方が問われている。

社会全体としての関わり方、地域社会の関わり方、個人の関わり方、それもまた問われているといっていいだろう。


原発問題もそうだが、もう専門家の意見を聞くだけでおわりとか、お金を出せば解決だとか、そういうやり方はやめましょう、もっと違うやり方を考えて実行しましょうということなのではなかろうか。


ニュースを読みながら、支援とは、お金のことではなく人の知恵や心のことなのではなかろうかと頭をかしげるぶどうであった。