行きの列車の中での一こまに、お金というものを見つめたぶどうさん。


帰りの列車でもお金について考えることになったのである。


北国へ戻る最終列車に乗り込むためホームに向かったぶどうさん。

手には予めデパ地下で購入していたお弁当と飲み物があった。


すでに夕飯の時間はとっくに過ぎており、駅といえど商売の時間は終わりつつあった。

ホームにある弁当屋もそろそろ店じまい。

そしてその前には最終列車に乗り込む前に何とか食事や食べ物を購入しようと、サラリーマンの長い列が続く。


ちらと見ると、弁当屋のケースにはもうわずかな弁当しか残っていなかった。

選べないであろう種類の少なくなった弁当を、ギリギリにホームに駆け込んできたサラリーマンたちが、列車での長い旅、長い夜に備えて買い求めているかのようであった。


最終列車に乗る人は、ほとんどが帰宅の人であろう。

食事時間は過ぎているといえど、目的地に深夜に到着する列車であるので、ここで弁当を逃すと痛い目にあうに違いない。


サラリーマンの皆さん、がんばりをありがとう!


さて、列車の中では食事をしている人が多いかと思いきや、実はそうでもなかった。

弁当を食べていそうな人は周囲を見るとそれほど多くない。


やはり食事時間をとっくにすぎた列車であったためであろう。

食事をする人は多くなかったようだが、しかし例のごとく車内販売はやってきた。


弁当と飲み物を持っていたので、ぶどうさんの興味は列車内のお土産販売だけ。

仙台笹かまぼこやら福島薄皮饅頭やら、列車の中で購入することが出来るのだ。

勿論定価。

よってぶどうさんは車内販売をお土産屋さんとして利用する♪


長い時間列車に乗っているので、乗客は手持ちのものがなければ車内販売を利用するしかない。


車内販売は独占販売というだけでなく、温かい又は冷たい飲み物やお酒、列車にしかないアイスクリーム、お酒のつまみやお菓子など付加価値をつけてやってくる。

少々市場よりは高いが、便利さ、その場にある付加価値により買い物をする人は多い。


ぶどうさんはケチでせこいため、お土産以外車内販売を利用することはない。

事前に用意する。

そういうぶどうさんの前に、車内販売を頻繁に利用する二人のサラリーマンが突然あらわれた。


二人は発車後車内販売カートがくるやいきなりビールを購入。

もう食事は済ませてきたようで弁当を食べている気配はなかった。


次のカートが来るまでに待てなかったのか、ビールを追加するため移動していた販売レディをつかまえて2度目の購入。

しばらくして車内販売カートがきたのでまたまたビールを購入。

わざわざ「冷えたビールください」とリクエストしていたので、2回目に買ったのは冷えてなかったのだろう・・・・

その後次のカートでおつまみ購入。


どこまで続くんだろうと思ったが、車内販売を利用したのはここまでであった。

回数にして4回。

来るたび連続、である。


ぶどうさんが感心したのは、利用した回数ではない。

ビール1本、車内でいくらするのかは知らないが、コーヒー1杯300円するのだから300円はするのだろう。

カートが来るたびに少額ながら毎回お金を出し、ちょっと計算するにトータル一人頭1000円は超えているだろうか。


行きの1000円の弁当と違い、食事ではなく明らかに列車内の時間を楽しむために使ったお金なので、無駄使いである。

1回300円といえど、回数が増えればまるで財布に穴が開いたかのようにお金がこぼれ落ちているのである。


それをみて、ぶどうさんは考えた。

ぶどうさんも、結構そういうお金の使い方をしているんではなかろうかと。

一つ一つは安かったりお得でも、全体見れば全くの無駄であり無駄遣いでしかないお金の使い方をスーパーで、生協で、いろんな店舗でしているのかも、と。


ただし、このサラリーマンの人たちはただの無駄遣いではなかったようでもある。

なぜなら、乗っている間中ずーっと二人で飲みながらしゃべり続けて楽しげだったから。

潤滑剤としてのビールやおつまみ代が1000円かかったとしても、列車内のつまらない時間が楽しくなっていい気分になるんなら安いものかもしれない。


ここでも1000円の価値、である。


行きは「用意さえすれば無駄にお金を使わずに済む」帰りは「用意していればもしくは我慢すればお金を使わずに済む」シーンに、あえて「お金を出して楽しむ」人々が現れたのである。


お金の使い方やお金の価値なんて人それぞれ。


ぶどうさんはやっぱりおにぎりを用意して「食べたい店で食べるか購入する」ほうを選ぶし、列車内でコーヒーもアイスもましてやビールは買わないだろう。

でも楽しむためだったら、そういえばお友達と甘味を食べたし、調べていたあちこちのお店でパンやケーキを買って食べた。


あのサラリーマンや夫婦とおなじこと。

どこで使うかが違うだけ。


この件で、まるで無駄で邪魔と思っていた車内販売に対する考えが少し変わった。

通路ふさぎでぼっているとしか思えない車内販売は、必要なときに必要なものが買えるシステムであり、ぶどうさんにとっては無駄遣いしているとしか思えない人々に支えられているのだ。


楽しければ何ぼでもお金を使っていいってわけじゃないけど、こういう無駄な部分が潤いを与えているところもあるというのがちょっぴりわかった。


でも一番痛感したのは、少額でもちょこちょこお金を使えば財布に穴が開いているのと同じだっていうことかも。


お金の使い方、使う場所、よくよく考えて人生計画しなさいよって言われたようであった。