爽やかな山椒の実の香りに包まれた台所で一人楽しく料理するぶどうさん。
気分は晴れやかである。
山椒の実のあく抜きは洗って、いったん茹でて、水にさらすだけ。
いとも簡単である。
とはいえ、ゆでた後小枝を除く作業が待っている。
小枝は生の状態で除くという人もいれば、煮れば気にならないからと残してもいいという人もいる。
どっちが正解かわからないが、初めてなので慎重にすることにした。
小枝は生のときに除いたらあく抜きのときに香りや成分が抜けすぎるのではと危惧したぶどうさん、水にさらす段階までは残すことにした。
いったんゆでた後手で実を外そうとすると、しかし実の表面がはがれることに気がついた。
これではだめだめである。
仕方なしにはさみで小枝をちょっぴりのこしつつ実を枝から外すことにした。
爽やかな山椒の香りにつつまれ心地いい。
しかし、それははじめのうちだけであった。
外しはじめてから30分たち、一時間経ち・・・
一年でこの時期にしか手に入らない山椒の実と思うと、後で後悔したくないので作業を慎重に進めたため時間が思いの外かかった。
心地よい香りはだんだんと苦痛になり、作業終了間近1時間半経ったころには頭痛と気持ちの悪さで気分がすこぶる悪い。
殆どダウン寸前で作業終了、次の佃煮をつくる作業はとてもできそうになかった。
あく抜きは30分というレシピだったが、別のレシピでは一晩してもいいということだったので勝手に変更、翌日持ち越すことにした。
家中の窓を開け、これ以上山椒の香りがしないように厳重にゴミ袋の口をしめ寝込んだぶどうさん。
香りの効果がこれほど強いとは想像だにしなかった。
いい香りも強すぎれば悪臭になり、嗅ぎすぎれば体に悪いということを身を持って知った次第である。
そういえば、バジルだったか、アロマテラピーでは長期的に嗅ぎすぎればよくないという香りがあることをふと思い出した。
あとで調べたが山椒の香りに中毒性があるとか禁忌とかいうのはわからず、真偽のほどは不明のまま。
しかし、過ぎたるは及ばざるが如し。
いい香り、すばらしい香り、ちょっと苦手な香りを嗅ぎすぎるのは体には毒であるという教訓になった。
結局翌日に煮た山椒の実は、やはり強烈な匂いを放ちながら醤油とともに存在をアピールしつづけた。
こんだけにおうんなら食中毒予防に駆虫効果もありそうなもの。
昆布の佃煮に入れるのはちょっぴりで済みそうだし、冷凍保存すれば1年間は持ってくれるだろう。
来年まではこの匂いを嗅ぎたくないものだと、香りの思わぬ効果に懲り懲りしたぶどうであった。