食事の味付けについて考え始めたぶどうさん。


料理本の通りに作ればものすごく味が濃い。

自分流に作れば味は薄めになるけれど、そうなるともはや料理本の通りに作ったことにはならない。


さて、どうするか。


料理本がバイブルというわけじゃない。


家族の健康を維持し、家での食事が待ち遠しいという楽しみを持ってもらうには、ヘルシーでおいしいレシピで料理を作るということが必須である。

料理本は、ベストレシピを捜すための指南書という位置づけであり、あくまで参考書であってバイブルではない。


今の時点では、気ままに(適当に)料理してきた自分を反省するため、自己流を封印して素直に基本に従いながらすすめていくためのもの、である。


ところで、その手の料理本は、前回述べたようにとにかく味が濃い。

なんでこんなに濃いのだろうと不思議に思ったが、なにがしかの理由があるのだろうと考えてみた。


あんなに濃いおかずを食べ続ければ生活習慣病にでもなりそうなのに、堂々と記載されているところが変だと思わないか。

砂糖、醤油、塩、などの調味料が素材に対してふんだんに使われているし、特におふくろの味系にはそれが顕著だ。

普通ならこの半分より多い位でいいのでは?というのにである。

そして一人前が意外に少ない。


これらを考えると、どうやらぶどうさんちの常識が間違っているのではないかという疑惑がでてきた。


ぶどうさんちは、いわゆるおかず食いだ。

ご飯は多くて一杯、夕飯のときはおかずを沢山食べた後、おなかのすき具合を見てご飯の量を調整する。

だから、おかずだけを食べられるように薄味だし、ご飯を必要としない。


けれど一昔前の日本人の食べ方、というか日本人の食事の作法ではご飯とおかずは交互に食べるもの、とされている。

ぶどうさんちのような「ばっかりぐい」は、ルール違反なのだ。


交互とはつまり、おかずを食べ、ご飯を食べ、またおかず・・・の繰り返し。

この方法だとおかずは濃い味が必要で、しかも全体量はご飯に見合う量であり、ご飯というか主食の量は当然多目。


そうなると味が濃いおかずを何種類か用意したとしてもそれぞれ少量だし、一方でご飯は沢山食べることになる。

料理本の写真で見る「一人前」のおかずの量の少なさが、これでなんとなく説明がつく気がする。


ようするに、主食副食の関係が、ぶどうさんちは間違っていた、ということになる。


うーん。

そうきたか・・・・・


確かにご飯を食べると、満腹度と満足度はかなり高くなる。

あれだけご飯を食べたのだからと、食後の悪いくせであるお菓子は自然と減る。


一昔前、米は肥満になるという間違った知識をばら撒かれたのをおぼえておられるだろうか。

ご飯はダイエットの敵とまでいわれ、敬遠されていた。


しかし、適切に食べればご飯はダイエットの敵どころか間違った食生活を正す希望の星となるのではなかろうか。


なにしろ、「主」食なのだ。


なんで副食のほうが主役でご飯が添え物なのだろう。

それはまったく不条理だ。(いや、ぶどうさんがやってたでしょ!)


ごはんは主役、おかずは脇役。これ常識。

だから濃いおかずをチョッポリずつ食べてごはんをもりもり食べよう!



・・・・・・・・とまでは、さすがに四十路を越えてからは全面的に賛成するわけにはいかない。

しかし、ここはちょっと主食の量を、質とともに見直す必要がでてきたのではないかという気がしてきた。


味付けをむやみやたらに薄味一辺倒にしたり、調味料をごってりつかって素材の味も何もわからないようなあじつけにするのではなく、どこかにバランスの取れた地点をみるけるためにご飯との関係を考慮しなければならないのではないだろうか。

ご飯との関係を見直すことで、ぶどうさんちの味付けにもっと違うやり方があるのではないだろうかと思うようになった。



料理修行に入ってすぐ、我が家の食べる量と味付けが世間と違っていることに気がついたことによって、ぶどう

の道はさらに幅を広げ始めたのであった。