戦後生まれと新しい教育。
ここに一本の線を見出したぶどうさん。
発端は、現政権のお粗末な運営や答弁に煮え切らない奇妙さを感じたことによる。
特に菅首相、そして仙石官房長官の異常なまでの中国より外交、共産主義政策。
また前首相の鳩山首相の奇妙奇天烈な発言。
どちらにも共通のニオイを感じるにもかかわらずそれが何なのか、わからずにいた。
党は同じでも3人の出身や経歴は違う。
しかし、なぜか共通しているのが戦後生まれ。そう、同じ世代、なのだ。
戦後しばらくして学校に通いだし新しい教育をうけ、昭和30年代に10代を経験し、40年代に学生運動を経験した、まさにど真ん中の世代なのだ。
学生運動は全国的に広がりを見せたがぶどうさんが生まれてから沈静化の方向へ向かい、1972年の沖縄返還以降急速に衰えたらしい。
驚くべきことにしかし、なんと80年代まで地味な形で残っていたようだ。
ぶどうさんは80年代に学生であった。
そういえばその頃、キャンパスにペンキ塗りのたて看板があり、ビラを配りマスクとヘルメットをかぶった人たちがいた。
休み時間になるや、その人たちが講堂に入りビラを撒いたのを見たことがある。
うーん、どんな学生時代だったんだ?
大半の学生はそういう運動とは無縁であった。
いや、全く違う世界の人に思えていたといっていい。
大学には勉強しにいったのだから、講義を受けずに運動するなんて考えられなかったのだ。
あの人たちは私と同じ世代の人たちだったに違いないが、今でもその気持ちはわからないままだ。
学生運動がもっとも激しいそのときに、現在の首相や官房長官は大学に籍を置き、実際に学生運動をしている。
このことは、学生運動をした政治家に名前を連ねてあったのでわかったことだ。
なるほど、戦後の教育を受け、捏造された歴史と薄っぺらい平和教育を叩き込まれ社会への不満を掲げ学生運動に身を投じた、そういう世代だったのだ。
もっとも、全部が全部そうであったかと言うと、そういうわけでもなかろうが。
そして、ぶどうさんの世代は、そういう世代を親に、そして教師に持ってしまったのだ。
大学の教授は言っていた。学生運動のころはまともに授業がなかったと。
社会に正義を求めるものたちは、近視眼的な目標を達成することを試みてはいたが、次の世代の育成のことなどさほど念頭になかったのだろうか。
学生運動により社会は良くなったのか、というと、それは時代の流れであっただけで、社会が変わったといえるのかは疑問のようだ。
学生だっていつまでも学生でいるわけにいかず、社会人となる。
沈静化と沖縄返還の後、意義を失った学生たちは事なかれに流れていったようだ。
ぶどうさんよりも上の世代、昭和30年生まれともなると、もはや学生運動とは無縁の世代となっている。
現在55歳以下の世代で、早い人は祖父母になっているひともいるが、殆どは大学生か社会人の親に当たる。
この世代の特徴は、社会が落ち着いてから生まれ、テレビに群がり、社会全体が貧しいながらも経済上向きの中で育ってきた人たちだ。
ぶどうさんの世代は、というとバブルを経験した世代で、中学か高校、結婚が早い人はもう子供が社会人という人までの子育て世代。
この世代の特徴は、テレビっこ世代でメディアの情報に弱く、戦後教育を受けた教師から間違った歴史と平和教育を刷り込まれ、躾が甘く、極端な個人主義ではないが、団結力は弱いといったところだろうか。
人は教えられた以上のことを教えることはできない。
よほど努力をして、師を超えるほどの高みに達したものでも、自分の力量を超えて教えることはできない。
裏を返せば、前の世代がもたらしたものを受けとるとき、それは前の世代の受け取ったもの以下、力量以下であるということだ。
つまり、ぶどうさんの世代が親や教師の世代から受け取ったものは、それくらいのもの、ということになる。
戦後世代、団塊の世代が経済発展に貢献してきたのは事実だ。
しかし倫理道徳、団結力その他もろもろの点で努力してきたかというと、この世の中の有様、先行き不透明感を実感する身としては大いに疑問がある。
断っておくが、ぶどうさんの世代が悪いのは親や教師の世代が悪いからと責任転嫁しているのではない。
一因であることは否めないが、世代が悪いのは努力をしなかった世代全体の責任だ。
世代は順次繰り下がっていき、永遠に引き継ぎ作業を繰り返す。
人は血を、肉を受け継ぐだけでなく、人のありようを引き継いでいっているといっていい。
今子育て世代のぶどうさん。ぶどうさんに子供はいないけど、世代の一員としての責任は自覚している。
われわれの世代が今しっかりすれば、子の世代、そして孫の世代をすばらしいものにしていけると信じている。
けれどわれわれの思いだけではなんにもならない。
それを子や孫の世代に伝え、自覚を促し、次の世代を健やかにはぐくむ努力をすることを自ら示さねばなるまい。
人としてある、人として生きる、ということは、個としてだけでなく全体の中の一人という自覚を各々が持つことが大切なのではなかろうか。
今の世の中がなぜこうなったかという理由を世代という観点から考えたとき、なんとなく答がそこらへんにある気がする。
とはいえ、最終的な答にするつもりはない。
なぜなら、世の中は変えられる。
今育んでいる世代に責任を持って当たることで、いかようにも結果は変わるからだ。
上の世代と同じ失敗を繰り返すことなどないのだ。
そう、40台、この世代は現在と未来を背負っているといっていい。
決して投げ出さずよりよい未来を信じて今を生きること、そして今育んでいるものが将来を担っていけるように導くこと、それが課された役目だと肝に銘じて、子を社会を守って行きましょう。
たぶん終わり。
今日の浜田省吾さん
I am a father
魂こめて歌っている姿が素敵です