甘いものがだいすきなぶどうさん。


毎日欠かさず何らかの甘いものを食べる。

そして、肉への変換作業を忘れない(ノ◇≦。)


これをやめれば毎日の運動効果は倍増するに違いない。

まったく、人間とは愚かなものだ(いや、ぶどうさんあんただけやろ)


甘いものは一部を除いて何でもOK、嫌いなものは殆どない。

ってことは、あるにはあるってことなんだけどね。

甘いものは好きでなかったら買わなきゃいい、食べなきゃいいんだから好き嫌いなんて意味がない。


菜食をしているひとは甘いものを欲しがると聞いたことがあるが、ぶどうさんの場合そんなこと関係なくこれまでの人生ず~っと、甘いものを食べ続けていた。


甘いものを食べ続けるのは、正気に帰れば健康に悪いと誰しも思うことだろう。

しかし、ぶどうさんは凡人ゆえ狂気の世界に浸っているから、それを続けている。


書きながら、自分の体の一部は甘いものでできているんだと改めて認識した次第。


甘いものを欲しがることは本能だが、私の甘い物好きはそれだけでなく甘えや依存心の表れでないかと思う。

素直に甘えられない、何かに寄りかかりたいけれどしっかりと立っていなきゃいけない、そんな葛藤の中で私を満たすものが甘いもの、だったのかもしれない。


甘いものは麻薬に近い。

まずやめることができない。やめたら禁断症状がでる(ぶどうさんだけ?)

また食べちゃう、の繰り返し。

過去に甘いものをやめたことがあるのだが、かえって反動が大きく挫折してしまった。


甘いものは楽しい。

見た目がきれいだし、食べておいしいし、誰かとの会話のお供になるし。

どこのお店においしいお菓子があるのか調べて買いに行くのも、娯楽の一つ。

新製品情報を仕入れて試す楽しみもある。


そして甘いものは日本の経済に貢献している。いい悪いは別にして。

お店のいい位置やレジ付近にお菓子のコーナーが設けられ、客のかごには必ず何らかの菓子類が放り込んである。

菓子を作る産業は巨大企業に限らず花形パティシェのいる高級菓子店、家族経営のお店まで幅広く存在し競合することなく共存している。

消費者が違いを認識し選択しているからだ。

ぶどうさんも例外なくそのうちの一人である。

人付きあいの潤滑油として世間に蔓延しているから、というのもある。


本来甘いものは嗜好品であり、生きるのに必要なものでもなんでもない。

純粋に楽しみでしかなく、その楽しみは心の楽しみであり、体にとって楽しみになるかどうかは疑問だ。

そういう意味では甘いものは酒やタバコと全く同じものであり、常に摂取し続けることがどういうことか考えるとちょっと恐ろしくなる。


そこまで言っておきながら甘いものを止められないぶどうさん。

もう殆ど病気というか、頭がおかしい。


これまでどれくらいのお金と時間を甘いものに費やしてきたか。

そしてそれをやめればお金も時間も有効に使えるだけでなく、体の不調から開放され体型も適正を保っていられたはずなのにやめられない。


まったく、恐るべき甘い罠である。


40台ぶどうさん、まだ人生の折り返しには来ていない(ええ、100歳近くまで長生きするつもりですの)

残り半分以上の人生これでいいのか、まず甘いものとのお付き合いについて考え始めたぶどうであった。




今日の浜田省吾さん。


youtubeで、「防波堤の上」を発見。

あの頃、この曲の雰囲気の重苦しさを好きでなかったのですが、すごくいい曲なんだなって今は感じます。

好きじゃないくせにしっかり歌詞まで覚えているって・・・若い脳みそはすごいです~

今は無理です~

EPOさんのカバーバージョンもあり、2度おいしいです。


見つけてみてね。