家事を完璧にこなす女、それがぶどうさん。
・・・・・・といいたいところだが、まだそこまで到達していない未熟ものの似非マダム。
このマダム道では、家事のハウツーを言うつもりはない。
私はお片づけ専門家でもなければスーパー主婦でもないからだ。
ありていに言うと、できないということだ。
仕事はプロにきけ、ってことはまこと的を射ている。
そういうのは、どうぞプロへ。
いまどきは家事本が沢山出ているし、いろんな人のいろんなやり方が本やネットで紹介されているので、ずぶの素人の私が出る幕はないのだ。
そういうわけで、やり方をプロに聞いて、それを真似してください。
ぜひそうしてください、といいたが。
真似した後で・・・やり方を自分で導き、実際に手を動かして自分のものにした方が、ずっと自分のためになるのではないだろうか。
実際に手を動かさないのは問題外だが、受け売りでやってダメだった・・・・だからもうしない、で終わるのはなんだかもったいないし、ここに集う人はみな自分仕様の人生を作り上げるマダム道を歩いているのだ。
いつかどこかの地点で自分仕様のやり方を見つけるまで試行錯誤の連続だろうが、がんばって歩んで欲しい。
無限ループの家事に、楽してうまくやれる方法があるか、というと、私はないと思う。
頭のいい人はきっと思いつくのだろうが、私は思いつかない。
時間がなければ機械任せ、お金があれば人任せにすればいいと考える人もいるだろう。
簡単にすることはズルではないし、機械も他人を使うのも、もちろん選択肢に入れていいと思う。
それでも敢えて自身の体を使い手を使ってすることを勧める理由は、人の仕事というものは尊いものだと思うからだ。
泥臭い、古臭い考えだが、人は常に実際に手を動かさねばならないのではないか、と思うのだ。
だからといって洗濯板で手洗いしろとか、バケツもって雑巾がけをしろとか、食洗機を使うな、と言っているのではない。
いつもいつも「魔法のように楽して思い通りの快適な住まいと暮らし」が何もせずに得られるわけではない、と言っているのだ。
手を動かそう、体を動かそう。
動く手が、足が、体があるのだから、快適な暮らしは自分で作り出そう。
などと偉そうにいうが、しっかり手抜きな主婦であるぶどう。
全く参考にはならないと思うが、近い将来私のかな~り手抜きなルーチンワークをちらりと披露しよう。
いつになるかわかんないよ~