前回お話した作業の完了地点を決めるということについて。


一連のルーチンワークをここまでやって終了!として終えたとしよう。

この場合、達成度が100%である、はずなのだが、実際にはそうではないことに気がついた。


やったぞー!と言う場合は達成度が100%で心は満足そのもの。


しかし終了なのだけど、

「ひとまずこれで」「まあ、これくらいにしておこう」「もうちょっとしたいけど今日は忙しい」で踏ん切りをつけての終了をすると、心情的には不満や不足、手を抜いたという罪悪感を抱くことになる。


結局やったのだけど「やれてない」ということになる。


これって悪循環だと思う。


家事は同じことの繰り返しだ。

それも、「元に戻して」「快適な状態にもってきて」「また振り出しに戻る」のループをぐるぐると回っている。


家事は必ずしも主婦だけの仕事ではない。

家族全員がやらかしたことを一人だけが始末するというのは変な話なのだ。


本来はその場の構成員=家族が全員参加するべきことで、役割担当があってもいいものだ。

残念ながら実際は、家事作業にもっとも長けたとみなされている主婦が、多くのことを担っているだけなのだ。


理想としては、家族全員が自分のことは自分でやり、役割は分担する。

主婦は船頭の役割と手の届かないところを率先してこなし管理する。

こんなかんじではなかろうか。


だからといって、現実にはそうも言っていられないので、家事は主婦がするということで話を進めていく。


ルーチンワークの完了を決める、これはとても大切なことだ。

なぜなら、そうしなければ終わりが見えないし一日のスケジュールも生活の目処もたたないではないか。


家事の無限ループ自体は同じなのだけど、家の中で必ずしも昨日と同じ状態が今日繰り広げられているわけではない。

そして、昨日と全く同じ一日がもてるわけではなく(外出予定が入っているとか、来客準備があるとか)、体調も昨日とはちがう。


つまり何をいわんとしているかというと。

「完了地点を日によって変えてもいい」ということだ。


常に同じ状態をキープしていることは理想だし、それを完了地点にする気持ちはわかる。

けれど上記のように同じ毎日でも、家の中も人の心も体も同じではない。


やれなかったからダメだなどと自分を責める心をまず捨てよう。

そして、「今日はここまで」を赦す気持ちを持とう。


その代わりこれは提案なのだが。


「やれなかったから後で挽回する」と決めると、後々心に重石を残すことになるので、

そういうときは、

「やれるだけやる最低ラインをきめること」だ。その最低ラインが、できないときの「完了地点」となる。


この最低ラインの上にプラスアルファ的作業をして理想の完了地点とする、という考え方もできるのだけど、そうなると常日頃の達成度がますます下がるので、あくまで通常の完了地点は遠くに置かない、普通にできる地点にしておこう。


プラスアルファは、あくまで3件片付けの法則を適用し、気づいたときに気づいた場所でちゃっちゃかやればいいんだから。

ご心配なく。

徹底的にやりたい気分になったらなったで、「スペシャル」にすればいいんだし。


そしてできない時に、最低ラインまで持っていくための裏技を用意しよう!

使い捨ての道具を使ったり、市販のインスタント食品を使ったり、全部でなく気になる何箇所かだけ掃除をしたり、今日中に洗いたい汚れ物だけを洗濯したり。


まあ、手抜き・・・なんだけど、最低ラインだから、それでよしとしよう。

何にもやらないよりずっと家の中も、心もすっきりとしているし、翌日の惨状もちがってくる。

やれない自分ではなく、どんなときもやれている自分を感じることが大事。


掛け値なしで「デキル女、素敵なマダム」になるには一歩ずつ歩んでいくしかない。


ともにがんばりましょう。