どこのブログでもそうだが、大抵のところで日々の、週の、月のアクセス数とランキングが出されている。
何年か前までは、カウンターを自分で設置する。。なんてところもあったが、この頃は普通のようだ。
私はミ○シィのほか、放置中の外部ブログ、今ちょいとお休み中のブログ、そしてこのブログと密かに活動している。
放置してしまったブログは初めてのブログであり、思い入れもあったのだが、とにかく不快コメントが多かった。
そのたびにIPをアク禁にし、コメントを消しと対策していたのだが、これがネット社会というものかとうんざりしてやめてしまった。
アメブロもフィッシングまがいのもの、不快コメントなど見られる。
アメブロを始めたころは多くなかったが、一時期同じ文面で違う名前をつかって送られてくるメッセージやコメントが急増したことがあった。
不快コメントは、見ただけで不快だ。
他人が不快感を抱くことを予想して送り、その通りに反応していると喜んでいるのかと思うだけで腹立たしいが、最近はコメントを消すだけにした。
不快コメントを入れている当人は、自身が罪を犯し自身を傷つけていることに全く気づいていない。
潜在意識は、いや、魂は自身がしたことやしていることの意味を知っている。
それを躍起になって正そうとするほど、私はできた人間ではない。
いつか気づいて、どうやって取り戻すかを自分で考えなきゃならないとは気の毒だが、責任は生きているうちに自身で果たしておいたほうがいいだろうという言葉しかない。
話は反れたが、最初のブログにせよ、お休み中のブログにせよ今のブログにせよ、アクセス数は非常に少ない。
ある人によると、アクセス数が伸びるようなかき方ではないから、らしい。
確かにそうだ。
しかし、私が千客万来系のことを書けるわけがない。
改めて今日、アメブロのアクセス解析を見てみた。
うん、訪れてくれている人は、やはり少ない。
アクセス数を押し上げているのは、もしや自分かもしれないとさえ思える数。
ブログを書いた日にはアクセス数があるが、書いてない日には極端に人が減る。
けれど、1か月分のアクセス数を見ていると、あることに気がついた。
数は少ないが、大体同じくらいの数の人がいらしてくださっていることを。
それがいつも同じ人たちなのか、それともたまたまなのかはわからないが、とにかく一定しているのだ。
訪れてくれる人が少ないのはさびしいが、そのお陰で私は自由に書かせていただいているともいえる。
もしかして楽しみにしてくださっている方がいらっしゃるかも?と思うと、勘違いでも嬉しい。
独り言に近い普通の主婦の、マダムへの道をこっそりと見ながら、自分自身の道、そして自身や周りのあり方を模索していただければ幸いだ。
私の独断と偏見に満ちたここでの話は、私の考えであって他の人のものではない。
だからどうぞ私の言うことなどを鵜呑みにせず、自身の目で見て考えを持ってよりよい人生を選び取ってください。
私はこの、マダムへの道を書くようになり「なにが自分のためになる」のか、考えてみた。
出た答えは、自分の頭の中の整理。
考えを述べることで自身の答を無意識に出していることを、小学生のころから気づいていたが、改めて書くこと、話すこと、聞いてもらうこと、そして聞くことが人生の答を自身で出す方法であると、この年になって再認識した。
各人答えの出し方は違うだろうし、気づきの瞬間もそれぞれだろう。
その方法を知っているならそれを、知らないならばどういうときに答えが得られてきたのかを思い出すもしくは気がついてみてください。
そして人生をより豊かに、美しく彩って ください。
ぼちぼち、とつとつとマダムへの道を着実に歩むぶどうさんをこれからもよろしくお願いします(^人^)