やましたひでこさんが唱える「断捨離」。
この言葉は、3つの言葉を合わせた造語だということだが、実に良く出来ていると思う。
ゴロがいいし、言いえて妙だ。
詳細は本ややましたひでこさんのブログに記述があるので省くが、なるほど、すばらしいと唸ってしまう。
実は私は断捨離本を読んでいない。
新旧2つにわたるブログを拝読させていただいただけ。
ここは田舎なので本屋にはなかなかいけない。
先日ひさしぶりに寄った本屋で、目を皿のようにして探し。。。目の前に平積みになっていた。
人気のようで、これまたすばらしい。
でも買わずに帰ってしまった。
買うに値しないからではない。
もう少し自分と向き合ってから、買いたいと思ったのだ。
断捨離ブログを発見し、読んだとき、なんとまあ似たようなことを考えている人がいるものかと厚かましくも思い驚いた。
ただ、やましたさんと私との違いは、「突き抜けている」かどうかというところだった。
私はまだまだまだまだしがらみを振りほどいてはいないから。
それに、私はやましたさんのように基礎的に積み上げて来た知識があるわけではない。
ただの、素人主婦の洞察の積上げに過ぎない。
やましたさんのブログを、この所毎日見ている。
とても気持ちのいい人で(会ったことはないが)素敵な人だと感心してしまう。
会ってみたい人の一人だ。
けれど、私は断捨離という言葉は使わない。
なぜなら。
修行みたいだから。
私のような中途半端に完ぺき主義者は、修行という概念は有毒なのだ。
自分で自分の首を絞めるというか。
自分のためには、捨てモノ作業のことを「リリース;夫命名」もしくは「回放;ぶどう命名」と呼ぶことにした。
解放ではない。
回復し、回転させ、解放し、開放し、快方させようという意図で。
なに、断捨離があんまりうまく出来た言葉で悔しいので、使うのを拒んでいる根性悪なだけなのだ。
ブログやSNSを徘徊していると断捨離が一部でブームになっているようで。
捨てたらこんな効果が、なんて目先のことを書く人、精神的に変わったことを書く人、さらに奥深く心理を読み解く人、いろんな人がいるようだ。
なんにせよ、やましたさん提唱の断捨離。
精神的な面、心理的なことの解説が非常にうまくなされ、読み手に自己洞察を促すという手法のすばらしさ。
ぜひ本もしくはブログを捜して読んで、唸ってみてはいかがだろう。
やましたさんとは、全く面識も接触もないのに宣伝するぶどうであった(^▽^;)