食べ物というのは、ひとつの国や文化の中で比較的労少なくして作り出せ、普通に流通していて、その中の殆どすべての人が「食べるものだ」と認識しているもののことであろう。
何をもったいぶった、と叱られそうだが。
外国では伝統的な食生活に基づいて食べものや食べ方の範囲は限られているところが多いようだが、ここ日本ではいいか悪いか別として、バラエティに富んでいる。
よって幼少の頃には家で出される食事に従うしかないが、長じるに従い食の嗜好や主義、宗教など自己の価値観を取り入れ独自の食生活を築いていくことになる。
またそれが許されるのがこの日本のいいところであろう。
けれど、真の意味で食べ物ってなんだろうと思う。
未来少年コナンという作品を覚えておられるだろうか。
もともとは残された人々という原作を起こしたもののようだが、宮崎駿さんの手がけたアニメで、とてもいい作品だった。
今でも再放送されたり販売されているのではなかろうか。
未来の地球のお話なのだが、子供心にびっくりしたことがあった。
土中に埋まっているプラスティックを捜す作業は、なんと人工パンを作る材料を探していたというシーン。
殆どのひとはその人工パンを食べるという。
本物の小麦も存在していたがそれはある土地でだけ手に入るもののようであった。
その貴重な小麦畑で容赦なく攻撃行動をする、人工パンを食べるものたち。
このアニメには食事のシーンがあちこちに出てくる。
宮崎さんの作品には食事のシーンが必ず出てくるが、ごたぶんんもれず。
食べ物とは、そうせざるを得ないという状況があって、それが枠となるのではないかと、これを見て気がついた。
気候、地形、地理、宗教・・・・そういった見えない枠。
今日本は、食に対する禁忌は無く、いろんな食べ物を作ってもいるが、多くを輸入している。
輸入するお金や方法があり流通が発達した現在の功罪だろう。
このようなことを言うと「日本古来の食生活への回帰」や「環境のために食を見直そう」などを言いたいのかと思われるかもしれない。
残念ながらそうではない。
日本古来の食生活って、実際あったのかどうか。。。ちょっと疑問視さえしているし、環境のために・・・という意味が何を指しているのか茫洋としすぎていてあまりに無責任極まりない文句にさえ思えるので、私は安易にそんな言葉を使いたくは無い。
正直言って、食べ物とは何か、いまわからなくなっているのだ。
食べ物って、食べ物とみなされているものなのか、食べてもいいものなのか。
食べ物って口に入れられるものなら何でも食べてもいいのか。
その土地に与えられたものだけが食べ物なのか。
その縛りだと「神の視点」か「人間の視点」かが見え隠れすることになる。
本当の神様なら、細かく人間の食べものを指定するとは考えにくいけれど・・・
つまり、気候や地理地形などその土地のものしか食べられないという状況ならそれを受け入れるしかないとして、
○○主義などというものは、結局人間の観念の縛りでしかないのではないかと疑い始めてしまったのだ。
答えが出るのかで無いのか、まったく見当はつかないが、今私はこれからの自身の食について改めて考え直している。