このところのぶどうさん
現実に向き合うことに専念していた。
具体的に言えば、捨て物に励んでいた・・・といいたいところだが、実際は「躊躇していた」のほうが正しい。
もともと物持ちがよく、その上ものを持ちすぎていて捨てられない女であったのだが、あるときからシンプルに生きるべく、モノを捨て始めた。
その生活、もう何年も。
けれど一向に片付かない。
思い切りが足りないのだ。
いつもいつも思い切ろうとするが、二の足を踏みいつまでもおなじところにとどまる始末。
モチベーションを揚げるためにその手のブログやコラム、本を読み漁り、そのときは納得し士気がたかまるのだがイザ!実際に捨てようとするとシナシナ・・・・ということ、これ何年も。
何が足りないんだろうと、考えてみた。
お金をかけて買ったモノだけでなくお金のかかってないもらい物の缶でさえ捨てられないのには、わけがある。
そうにらんだのだ。
そして気づいたのが、信頼の欠如と罪悪感。
自分や周囲に対する信頼の欠如が、モノを溜め込み手放せない理由のひとつだと。
困ったときに誰かが無条件に助けてくれるという信頼がまるでなく、また困ったら何とかなるし何とかできるという自分への信頼がまったく欠如していることが、捨てることや手放すことへの抵抗となっていたのだ。
それと同時に「モノを使い切れない事は、お金や時間や場所の無駄遣いである」ことを認識していて、無意識の罪悪感から、とにかく「体裁がとれるくらいは元をとってみよう」と、これまた無駄の上塗りの努力をしようとしていたのだ。
使えないものは使えないし、そんなものを収納したり掃除を余儀なくされたりするだけ時間と体力の無駄なのに。
いや、そんなものがあると意識に上らせて心を曇らせることの方がよっぽど無駄なのだ。
さりとて、やっぱり貧乏性で捨てられない。
そこで、昨年の終わりから「使い切る」作戦を決行。
主に食材、洗剤類、道具、服類など消耗品なのだが、とにかく使い切って気持ちよく捨てるということを始めた。
4ヶ月ほど経って。
まあそれでも不自由なく暮らせるし、出るわ出るわ消耗品。
どれだけ溜め込んでいたの?
どうやら今は清算の時らしい。
身軽になって、あらかた目処がついたら人生に新しい風が吹き込むような気がする。
・・・は、大げさか?
マダムは現実と向き合いながら常に清算していく女。
人生にツケを残さずツキをもたらす女になるべし。