欲しいものが必要になるためには・・・
と前回書いたが。
欲しいということは、残念ながらやめられない衝動だ。
欲しいものを必要にするなんて、ちょっと変な話なのだ。
けれど、ここで大事なことを忘れてはいけない。
どのポイントをフォーカスしているか、である。
欲しいという気持ちに見栄や虚飾があれば、
手に入れて満足しても又もっといいものが欲しくなるだろう。
それも悪いことではないと思う。
自身で責任が取れる範囲で手に入れ、何かを悟るまでやるのは自由だから。
しかし、ただ心が動いてそれを用いてやってみたいと思うなら・・
是非手に入れてやってみていいと思う。
たとえ飽きても、そこに何かしら得るところがあるから。
この時点で欲しいものは必要なものに変わる。
気まぐれであっても一時の気の迷いであっても、責任が取れるならとにかくやってみる。
そう提案するのには、ワケがある。
私はやりたいことをいつまでもウジウジ考える性質で、
だいたいが何かを買えば即解決しそうな問題をいつまでも引きずっていた。
物を増やさんがために不便に甘んじながら代用したりしていたが、どこかに不満があった。
そんなとき、ある投稿を見て目からうろこがおちる思いを最近した。
投稿したその人は、
「物は増えるけどやってみたいことをするためには物を買ってみる。折角経験することをあきらめる方がよっぽどもったいない!」
そう言っていた。
そうなのだ。
やってみなければわからないことをやらずに考えても仕方がないのだ。
責任が取れる範囲のお金で解決できることを先延ばしにしたりあきらめたりする方がよっぽどもったいないのだ。
だから、何かをやりたいと心が動いたとき、必要なものを買おう。
気の迷いや気まぐれ飽きっぽさに躊躇したとしても、そこから得られるものがあれば、やってみよう。
失敗でさえマダムの貴重な経験の下積みなのだから
マダムは恋多き女。いろんな経験を肥やしにして大きく羽ばたくべし
ま、ただの物欲といってしまえばそれまでなのだが・・