こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

朝からゆったりコーヒータイムをしています。

 

コーヒーが飲めるということは体調が戻ってきたようです。

 

体調管理に食べ物や飲み物バロメーターはお役立ちですね。

 

今日も一日お元気にお過ごしください。

 

 

本日色彩音痴のお話です。

 

 

色彩感覚が鈍く、うち造りの大事な部分である色選びを丸投げしているぶどうさん。

 

仕方がない、終の棲家づくりがしっちゃかめっちゃかになるよりはるかにましである。

 

色彩感覚が鈍くて何が悪いかと思われようが。

 

実際目で見る色だけではなく、ある色が分からず困惑しているのだ。

 

ある色とは、ピアノの音の色。

 

世の中にはピアノの音に色を感じる人がいるらしい。


そういえばピアノの音色、とはいうけれど、これは色そのものの話ではない。

 

音に色。

 

これは色そのもののことだろう。

 

調べてみたら、これは色そのものが見えるというより、感覚として感じ、共感覚の一種らしい。

 

もっとよく調べると、それは色聴といって、実際感じるだけでなく見えている人もいるとか。

 

どういうこと?

 

凡人のぶどうさんには全然わからない。

 

メトードローズなどの教本を書かれた安川加寿子先生が、ピアノの曲に色という表現をされていたのをどこかで読んだことがある。

 

音とは原始的なものなはずなのに、人によって感じ方が違い、それが音楽となると奥深くなるものなのか。

 

ピアノを弾きながら色を感じるなんて、ほとんど超能力者である。

 

音に色があるなら、曲となったときどんな色合いになるのか、聞いてみたいものだ。

 

曲になったら、全体の色調を感じるのだろうか。

 

それとも絵が完成する?

 

凡人ゆえ、いや色彩音痴ゆえ、音の色も曲の色調も、全然わからず残念だ。

 

ぶどうさんがピアノの曲に感じるのは、光の強さや陰影のみで、色は感じることができない。

 

もっと一所懸命練習したらいつか色が分かる日がくるんだろうか。

 

家の色さえ決め切れない人間なので、そういう日が来るとは思えない。

 

音楽をするなら美術や芸術も観賞するといいというけれど。

 

もしかして、みなさんそうやって感覚を磨いているのだろうか。

 

絵を描くのも見るのも、さほど興味はなかったぶどうさん。

 

遅まきながら美術館巡りなどで芸術鑑賞を少しずつ始めようかな、と思い始めたぶどうであった。