未だ、地球にて
文学や音楽、映画等と違って写真を芸術だとは思っていなかった。
例えば家族が思い出を記録するための実用的な道具であり、
「写真撮った?」のようなものと捉えていた。
芸術はそもそも実用的なものだったが、「映画撮った?」や「作曲した?」等は
日常会話で使われることは殆んどないし、芸術作品は無から何かを創り出すもので
「パシャ」という具合いに産み出せるものではないと思っていた。
しかし新たな世界像を提示するのが芸術だとすれば、
その提示を受け手の創造力を介する必要性が低いという意味で、
写真は作者の提示した世界を最も伝達しやすい芸術だといえる。
視覚に訴える芸術としては映画も同じだが、
映画はフィクションによって真実を描き、
写真は文字通り真実を写す。
真実を知る者、捉えられる者が代償として精神的肉体的疲労に支配され、
病気などあらゆる身体的な制限を科せられていても、
写真を使って真実を残すことが出来る。
現実の世界を掌握する手段の容易性に写真は優れていると思う。
文章を書いたり(人物や物体を描写したり)
ピアノを弾いたり(練習したり)
メガホンを取ったり(人脈を作ったり、段取りを整えたり)
する余裕のない物理的な制約に縛られた隠密の
最後の可能性が写真なのかもしれない。

