オルタナティブ・カメラ -3ページ目
オルソケラトロジーを始めた理由は二つあります。一つは乱視が酷かったので、眼鏡では上手く矯正出来なかったこと。もう一つは、格闘技をやっているので、コンタクトレンズや眼鏡は練習中に使用出来なかったからです。コンタクトレンズや眼鏡を着用して練習している人も意外と多いのですが、顔面への攻撃があるため、基本的には裸眼の方が安全です。

ただ、視力を矯正して遠くが視えるようになると、周囲が気になって、集中力が低下するような気がしました。それに遠くが見えると脳が疲れやすくなるような気もします。普通は近視の方が疲れやすいのですが。

ところでタイ人の選手は、よく眼が良いと言われますが、オルソケラトロジーやレーシックをやった選手がいるのかどうか、気になるところです。
オルソケラトロジーを中止して、コンタクトレンズを使用したいと考えています。オルソレンズと通常のレンズを併用出来ると聞いたのですが、コンタクトレンズを処方するにはオルソケラトロジーの使用を中止して、角膜が元に戻ってからでないと正確に処方が出来ないとも聞きました。しかし、オルソケラトロジーの効果が消えなくても、通常のコンタクトレンズの測定が出来ないと、そもそも併用は出来ないはずで・・・混乱しています。
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歩くのは難しい。
僕は上手く歩きたいなあと思うとき、
長田弘さんの「散歩」という詩を思い出す。


ただ歩く。手に何ももたない。急がない。
気に入った曲がり角がきたら、すっと曲がる。
かがり角を曲がると、道の先の風景画くるりと
変わる。くねくねとつづいてゆく細い道もあ
れば、おもいがけない下り坂で膝がわらいだ
すこともある。広い道にでると、空が遠くか
らゆっくりとこちらにひろがってくる。
どの道も、一つ一つの道が、それぞれにちがう。
 町にかくされた、みえないあみだ籤の折り
目をするするとひろげてゆくように、曲がり角
をいくつも曲がって、どこかへゆくためにで
なく、歩くことをたのしむために街を歩く。
とても簡単なことだ。
とても簡単なようなのだが、そうだろうか。
どこかへ何かをしにゆくことはできても、
歩くことをたのしむために歩くこと。
それがなかなかにできない。
この世でいちばん難しいのは、いちばん簡単なこと。



普段肩掛けカバンで歩いていると、カバン無しの手ぶら状態が妙にアンバランスに感じる。身体中が凝りやすい体質なので、肩を回したり、腰に手を当てたり、首を揉んだり、とにかく身体に気を使いながら歩いている。身体に気を使いすぎて、まわりの景色や音や動きに余り意識が向いていないような気がする。天気の良い日だったりすると、もっと世界を堪能しないといけないと思い、屋内に入るのをためらってしまう。でも疲労のせいか、急ぎすぎているせいか、目的地までの通過点のように、風景を歩き終えてしまう。

本当に上手に、自然に歩くのは難しい。

今も歩きながら携帯のメールを利用して、この文章を書いている。ファミレスで読書をした帰りなので、めも疲れている。鈴虫の泣き声だけがレクイエムのような、ファンファーレのような、徒労な生活の一辺を彩る。

僕は、歩きたい。