
スペイン旅行については、まず夫に説明し心配しながらも、私の意向を尊重して了解してもらった。
次に病床の母とその母の介護をする父に「バルセロナに行く。行きと帰りの道中は、私一人です」と宣言し、両親を不安にさせながらも了承を得た私であったが、その後、母は車いす生活になり、介護がますます必要になった。状態が安定しないために緩和ケア病棟に入院となってしまう。
私の自宅と職場を西と東で結ぶ底辺とすると母の入院する病院は北側、つまり三角形の頂点の位置にありました。
毎日、仕事の帰りに母のところに寄れたのは、夫の理解があったからです。
施設に入所した祖母のもとに、母に毎日通っていた母だった。
その母の病床に通った日々、残り少ないと思われる時間は悲しかったけれど、母と二人きりで、母に頼りにされた時間は幸せな時間であった。
母も祖母のところに通いながらそのように感じたのであればいいなと思います。
その後、脳梗塞を起こし状態が急変。ちょっと安定したかなというところで、母はもう一度脳梗塞を起こしてしまう。
最期の時、私は「お母さん」と呼んで、何度か引き留めたが母はとうとう逝ってしまった。引き留めないで穏やかに逝かせてあげた方がよかったのではないだろうかと後悔する。
さて、母は語学の好きな人でした。英語を習ったり、フランス語を習ったりしていた。
海外旅行に憧れており、母が病気を発症する前に父親にドイツとフランス、スイスに連れて行ってもらって、大変喜び、満足していた。
母の死後、亡くなって1か月あまりでスペイン旅行に行くかどうか悩んでいたが、父親が行くようにと言ってくれ、旅行は実現した。(もちろん、夫も気持ちよく送り出してくれた)
その旅行初日、バルセロナのホテルで寝ているときに私は夢を見た。
窓の向こうから母が手を振っているのだ。「あぁ、好奇心の強いお母さんがついてきたんだな」と納得しながら目が覚める。
お母さん、私は少し親孝行できたでしょうか。
最期の時間を一緒に過ごすことができて、私は幸せでした。



