山陰第四民放局(未開局)
1990年代のANNネットワーク拡大運動に乗じ、「山陰地区でもテレビ朝日系第四民放局を」の機運も高まったものでした。
ANN拡大運動と民放四局化に乗じて、テレ朝系の山陰第四民放局を設立し、日本海テレビのクロスネットと、山陰エリア統合前の名残であったテレ朝ワイドショーのNKTとBSSのWネット解消を目論むも、山陰エリアに四局目の電波割り当てが行わなかったため幻に終わりました。
一説には
・テレビ朝日側が「鳥取・島根の経済体力を以ってしても、運営が難しい」
・リクルート事件で竹下登の求心力が低下した
・自民党が睨みを効かせている地域の為、自民党が嫌がった
・西尾邑次鳥取県知事(当時)や澄田信義島根県知事(当時)の政治力が不足していた
等が原因で、に山陰第四民放局の構想すら頓挫したとも言われています。