40年前の今日、静岡第四民放局の静岡第一テレビが開局した日でした。



静岡第四局開局迄の歴史

静岡第三民放局は浜松市に拠点を置く朝日新聞・中日新聞・テレビ朝日派と静岡市に拠点を置く読売新聞・静岡新聞・日本テレビ派の収束の付かない綱引き合戦が繰り広げられました。
朝日新聞・中日新聞・テレビ朝日派は平山博三浜松市長(当時)、浜松市の経済界が支援しました。
読売新聞・静岡新聞・日本テレビ派は荻野準平静岡市長(当時)、静岡市の経済界、農協、漁協が支援しました。
1978年に静岡第三民放局の免許が交付された時、静岡第三民放局の274件の免許申請のうち、浜松に拠点を置く朝日新聞・中日新聞・テレビ朝日派は149件の免許申請があり、静岡を中心にした読売新聞・静岡新聞・日本テレビ派は125件の免許申請がありました。

結果、朝日新聞派と読売新聞派との収束の付かない引っ張り合いが起きました。

解決策として、「静岡第四民放局は日本テレビ系で開局し、それまでは静岡第三民放局(後の静岡けんみんテレビ→静岡朝日テレビ)をクロスネットで間借りする」事で暫定措置を取りました。

1978年昭和53年)12月に静岡県に民放第4局の周波数割り当てが決定され、静岡地区では5件の免許申請がありました。




名前の由来

静岡第一テレビの由来は先発局との差別化と、資本構成に第一次産業が関わった事、「静岡で1番のテレビ局を目指す」と言う意味を込めて命名しました。

また、静岡の民放で初めて音声多重放送を導入した放送局でもありました。

同社製作番組ではタレントの起用率が高く、特に夕方ワイド番組『まるごと』(『まるごとGOLD』を含む)ではほぼ全ての各曜日の番組コーナー等にお笑いタレントを起用しており、タレント起用率が高いと言えます。