30年前の今日、KKB・鹿児島放送が開局した日でした。

 

 

テレビ朝日系列フルネット局では11番目、九州のテレビ朝日系列フルネット局では福岡県九州朝日放送に次いで2番目、日本国内の民放テレビでは99番目、鹿児島の民放テレビでは南日本放送 (MBC) ・鹿児島テレビ放送 (KTS) に次いで3番目に開局した。

略称のKKBは「Kabushikikaisya Kagoshima Broadcasting」の頭文字を取ったものである。「Kagoshima Broadcasting Corporation」の略である「KBC」としなかったのは、九州・沖縄・山口地区の同系列の基幹局でもある九州朝日放送が既に使用していたためである。

(中略)

鹿児島県に隣接する宮崎県にはテレビ朝日系列のフルネット局が無いため、都城市えびの市串間市などを中心に約103,000世帯(宮崎県内の21パーセント、ケーブルテレビを除く、アナログ放送)が受信している[5][6]。また、宮崎県内のケーブルテレビ局のうち、宮崎ケーブルテレビBTV、および宮崎市内でサービス提供を行っているBBIQ光テレビQTnet)では、KYTとともに区域外再放送も行われている。さらに宮崎ケーブルテレビではトランスモジュレーション方式でKKBを再送信しているため、ワンセグは利用出来ない。

歴史

1978年昭和53年)12月に鹿児島県にも民間放送第3局目の電波割り当てがなされたが、鹿児島県側は「熊本県の様子を見てから」開局することとなった。

46社からの免許出願を鹿児島県が10グループに編成した上で一本化し、系列はマスコミ資本の関係で熊本県が日本テレビ系列(KKT熊本県民テレビ、1982年4月1日開局)、鹿児島県がテレビ朝日系列となりました。1980年代初頭は地方局においてはまだクロスネット局が主流であり、KKBの開局は鹿児島県内の放送局の「系列化」の第一歩となりました。

1981年3月24日の日本テレビ・フジテレビ・テレビ朝日の経営陣の会談で鹿児島第三民放局をテレビ朝日系フルネットにすること、将来的に鹿児島第四民放局を日本テレビ系フルネットで開局させた上で鹿児島テレビをフジテレビ系フルネットにすることで合意しました。

1982年(昭和57年)9月3日に鹿児島市の紫原から試験電波を発射し、9月23日にサービス放送が開始され、10月1日の6時55分に本坊豊吉社長(当時・本坊酒造社長)の挨拶をもって開局した。最初に放送された番組は午前7時からの「ANNニュースセブン」で、同日午後には地球へ…(劇場版)が放送された。技術関連の業務はKKBの開局の際に設立された放送技術社(テレビ朝日グループ)が担当し、他テレビ朝日系列局やFMラジオ局の技術業務も受託している。

Wikipediaより引用

この鹿児島放送開局を機に鹿児島の民放の一本化に拍車が掛かり、1985年4月にはFNNとNNNのクロスネットのKTS鹿児島テレビもFNNへ加盟し、フジテレビ系マストバイ化の準備に入りました。そして日本テレビ系鹿児島第四民放局は本来なら1987年、または1988年に開局する予定で、KTSのクロスネットは早期に解消される筈でした。

しかし、出資者の調整に時間が掛かり、更にバブル崩壊による不況の影響で長引いてしまい、結局9年後の1994年4月に鹿児島讀賣テレビの開局を待たなければなりませんでした。