30年前の今日、TeNY・テレビ新潟ことテレビ新潟放送網が開局した日でした。


初めから4局化が決まっていた新潟民放局

1973年(昭和48年)、新潟県に3局目の民放テレビ局の開局枠が割り当てられたものの、免許を申請した業者が余りにも多数で一本化できず、各社間の調整にも失敗したため結局申請は却下、第一次オイルショックによる不況も重なり、29chという枠を残して一旦計画は白紙となりました。


その後、1980年(昭和55年)8月の日本テレビ・フジテレビ・テレビ朝日の経営陣と田中角栄元首相の会談でNST新潟総合テレビをフジテレビ系フルネット、新潟第三民放局を日本テレビ系フルネット、新潟第四民放局をテレビ朝日系フルネットにすることで合意しました。

そして、新潟県に民放テレビの第3・4局の割り当てがあり、先に日本テレビ系である第3局(29ch・本局)が割り当てられ、171件の免許申請がありました。

次にテレビ朝日系列局の第4局(21ch、新潟テレビ21(NT21、現・UX)・1983年(昭和58年)10月1日開局)が割り当てられ、147件の免許申請がありました。

開局当初の略称は、英語の登記名「Television Niigata Network」の頭文字からとった「TNN」(ティーエヌエヌ)。特徴的なロゴデザインで、2文字目のNは字画の先端が上下に大きく伸び、電波を表していた。

移行された割合は NST新潟総合テレビ7:BSN新潟放送3。

しかし、「キユーピー3分クッキング」は新潟放送CBC(TBS系列)制作分をネットしているため、ネットできなかった。

以下Wikipediaより引用


当初は1981年10月開局予定でしたが、ジャイアンツナイターの開幕に間に合わせたい為に半年繰り上げになり、開局準備から僅か半年と言う異例の早さで開局しました。

 



1998年平成10年)1月1日CI導入によりマーク・社名ロゴなどを一新、略称を「テレビ」と「新潟」の頭文字をアレンジした「TeNY」(テニィ)に変更、併せて新しいイメージソング「手と手と手とTeNY」も制作されました。

昭和のうちに四局化出来たのも、故・田中角栄の絶大な権力の影響もあったものと思われ、2年半後の新潟テレビ21の開局で、日本海側初の民放四局化を果たすのでした。