30年前の今日、テレビ朝日系福島第三民放局のKFB・福島放送が開局した日でした。

 

 

 

全ては福島中央テレビのネットチェンジから始まった

1970年に福島第二民放局としてFCT・福島中央テレビがフジテレビ系とNET(現・テレビ朝日)系のクロスネット局として開局し、朝日新聞はUHF局免許に乗じて福島で「県民テレビ運動」を展開しました。

実はFCTは当初、日本テレビ、フジテレビ、NETのトリプルネット局として開局する予定でしたが、当時日本テレビとTBSのクロスネットだったFTV・福島テレビからの同意が得られなかった為、フジテレビとNETのクロスネットになった経緯がありました。

しかし、FCTは地元福島民友新聞との関係を強化する際に日本テレビメインを選択する事となり、開局から僅か1年半で日本テレビメインへネットチェンジし、結果、FCTは日本テレビとNETとのクロスネットを組む事となり、徐々朝日系は締め出される事になりました。

 

独自の民放局を設立

昭和50年代に福島第三民放局設立の機運が高まり、1978年に福島第三民放局の電波が割り当てられ、112件の免許申請がありました。

福島第三民放局のホストは日本テレビ・TBS・フジテレビ・NET改めテレビ朝日が競いました。

その後、TBSとNET改めテレビ朝日に絞られ、テレ朝側は「福島朝日放送」、「福島テレビ朝日」、「福島朝日テレビ」を社名候補にら挙げていましたが、郵政省からの行政指導で「福島放送株式会社」に落ち着きました。

一方のTBSも「株式会社福島放送」で名乗りを挙げましたが、郵政省との協議の結果「TBS系第四民放局を認める代わりに福島放送の名をテレ朝へ譲渡する」事で合意。


1980年に田中角栄元首相、小林與三次日本テレビ社長(当時)、山西由之TBS社長(当時)、浅野賢澄フジテレビ社長(当時)、高野信テレビ朝日社長(当時)、松平勇雄福島県知事(当時)の会談で福島テレビをフジテレビ系フルネット、福島中央テレビを日本テレビ系フルネット、福島第三民放局をテレビ朝日系フルネット、福島第四民放局をTBS系フルネットにすることで決着しました。


1981年10月にに福島第三民放局としてテレビ朝日系「福島放送」が開局し、ANNマストバイネット局は悲願の10局目を達成しました。

ネット移行比率は福島中央テレビ:2・福島テレビ:8で、これは朝日放送の番組が福島テレビで放送されていた事も影響しています。

そして、演奏所は郡山市に設置しました。

福島放送開局により福島の民放の過密ネットが解消されました。

福島県の民放4局化が昭和期に実現したのは、田中角栄の娘婿にあたる、田中直紀の衆院議員時代の選挙区が旧福島3区(福島県浜通り)だったのが大きく影響しました。