今回は常連の山形のはっちゃんさんからのリクエストでもしも南樺太や千島列島が戦後も日本領のままだったら?の歴史のifを綴りたいと思います。

もしも南樺太や千島列島が戦後も日本領のままだったら?

1945年から1991年迄の歴史

1945年に第二次世界大戦は日本の敗戦に終わるも、ソ連が樺太侵攻を停止した事から南樺太と千島列島は保全される事となった。

しかし、国境でソ連と地続きで接していた為、防衛力は強化された。

間宮海峡と日ソ国境は東西冷戦の対立の場となり、「魔の国境地帯」となっていた。

道路も優先的に整備され、戦車が通れる様な規格となっていた。

・南樺太は樺太県になっていた。

・千島列島は北海道千島支庁→北海道千島振興局の管轄になっていた。

・樺太県の人口は150万人~200万人程度になっていた。

・豊原市の人口は50万人~60万人程度になっていた。

・真岡市に米軍真岡海軍基地が、落合市に米軍落合基地が、敷香市には米軍敷香基地が置かれていた。

・千島列島は過疎化が進んでいた。

・樺太の鉄道はJR北海道が管轄、社名も「JR北海(北海旅客鉄道)」になっていた。

・稚泊トンネルが1990年代に開業していた。

・本土より2時間マイナスの樺太・千島時間が制定されていた。

樺太全土日本領の場合の地図の一例

北樺太譲受・樺太道へ

1991年12月25日、ソビエト連邦解体の際に北樺太も日本領となり、日本による樺太統一を達成。

バブル崩壊直後であったが、北樺太開発と言う新たな内需を獲得し、北樺太景気は全世界がバブル崩壊後の不況に喘ぐ中で、日本の新たな開発内容を得ると同時に、石油も自国で確保出来ると同時に、日本も産出国となりOPEC石油機構にも加盟した。

樺太統一後の1992年4月1日から樺太県から樺太道へ改組。樺太東側を走る国道と鉄道の樺太本線(架空地図で言う樺太東線)と、間宮海峡沿いを走る国道と間宮本線(架空地図で言う樺太西線)は、最北の都市・桜羽(おは)市を目指し延伸が進められた。

・特急「宗谷」・「スーパー宗谷」は札幌駅~豊原駅・敷香駅の運行になっていた。
・樺太の高速道路はNEXCO東日本の管轄になっていた。

・宗谷本線、函館本線・新函館北斗小樽間、室蘭本線・長万部~東室蘭間は複線電化になっていた。

・北海道新幹線が史実より早く開業、最終的には旭川駅・稚泊トンネル経由で豊原駅まで延伸する計画になっていた。

・樺太道の民放テレビは4局化していた。

・豊原市周辺のケーブルテレビ局ではTVh・テレビ北海道が再送信されていた。

・千島列島には北海道民放5局の中継局が設置されていた。

・樺太道は人口100万人を突破し、豊原都市圏、敷香都市圏、鉾部都市圏への集中が進み、鉄道の複線化も行われた。また、豊原と敷香には私鉄もあった可能性もあった。

しかし、1995年に起きた北樺太大震災で被害を受け、同年1月に起きた阪神淡路大震災と共に二大大震災と呼ばれた。しかしそれを逆用し、道路・鉄道の整備が進み、2002年樺太本線も間宮本線も桜羽へ全通。樺太全土を縦貫する鉄道が通った。

整備新幹線も樺太の経済基盤から在来線もJRが引き続き運営を行う事にした。

史実のソ連→ロシアより繁栄していた反面、日本も史実より変容していた事も否定しません。