今回は常連の山形のはっちゃんのリクエストを元に服部天皇が存命だった頃の山形の民放の破茶滅茶編成を振り返りたいと思います。

当初はアニメのみのリクエストでしたが、他の一般番組にも拡大しようと考えました。

 

比較的平穏だった1970年代

日本テレビ系のYBC・山形放送と当時フジテレビ系のYTS・山形テレビの二局のみだった1970年代は比較平穏で、空いている時間帯にTBS・NET・東京12チャンネル・MBS・ABCのそれぞれの番組が番宣ネットで編成され、大半が平日夕方に放送されており、YTS日曜日夜7時も普通にフジテレビ系のアニメが放送されていました。

但し、日本テレビの「11PM」はYBCでは当初は同時ネットでしたが、「内容がけしからん」と低俗な番組内容に服部会長をはじめとしたYBCの経営陣が猛反発したため、1978年3月に打ち切られました。最も11PMの同時ネットを打ち切った日本テレビ系列局も各地でも少なくありませんでした。

その後1975年から山形テレビがNET(後のテレビ朝日)系とクロスネットを組んでからが様相が徐々に変化し、山形テレビに徐々にテレ朝番組の比率が増えていきました。

このままだとテレビ朝日に完全に乗っ取られると考えた服部天皇は、何処の系列局の言いなりにならない為、1980年4月からYBC山形放送を日本テレビとテレビ朝日のクロスネットと組ませ、YBCで放送していた日本テレビの番組をYTSに放送させると言う通常では考えられない編成を組ませました。

 

ゴチャゴチャネットの被害

このゴチャゴチャネットの被害はゴールデンタイムの編成にも悪影響を及ぼし、日曜夜はYBCがテレビ朝日の番組を放送したばかりに、YTSの夜19・20・22時が玉突きで日本テレビの番組を放送する羽目になり、同時間帯に放送されていたフジテレビ系番組は遅れネットを余儀なくされ、19時台のアニメや20・22時台の番組は別な日時で放送する羽目になるか、最悪は未ネットの顛末となりました。(当時のフジテレビの月曜・金曜19時はローカル枠だったので被害は少なかった)

日テレ当時ののドル箱だったジャイアンツナイターも例外ではなく、前番組がYBC、本中継がYTSというのと、日テレの特番でもYBCで募集してYTSで放送も良くありました。

YBCの月曜・火曜・水曜の21時台~22時台、金曜22時台もテレビ朝日系番組の同時・遅れネット枠でした。

その他のアニメもゴチャゴチャネットとなり、テレビ朝日系アニメの大半はYBCで平日夕方に放送し、「ドラえもん」は日曜日朝に放送していました。

また、この時にテレビ朝日系アニメ「忍者ハットリくん」が途中で打ち切られたと噂されましたが、これは何者かが流したデマで、YBCでもある程度放送され、YTSで再放送されました。

一方で、超時空要塞マクロスはYTSでは数週遅れながら平日夕方の放送だったこともあり、高視聴率を記録しました。序でに初回放送で最高視聴率を上げたのもYTSでした。

そして、1985年に悲劇が起きました。


インパクト絶大だった「火曜ロードショー」

ゴチャゴチャネットの被害は深刻化

フジテレビが「夜のヒットスタジオDX」へ拡大するに辺り、YTSが同時ネットする事になり、今まで同時ネットしていた「水曜ロードショー」が「火曜ロードショー」として一週遅れでネットする羽目になり、今まで同時ネットしたいた「なるほど・ザ・ワールド」が5日遅れの日曜朝へ時間帯移動する羽目になると言う出来事が起きました。

そして「火曜ロードショー」はOPの映像を弄り、故・水野晴郎さんの「今夜の水曜(金曜)ロードショーは」の水曜→金曜の音声をカットする程の念の入れようでした。

同時期に、山形第三民放局が構想されたのは1985年で、山形新聞もダミーの免許申請を行いました。

この時期から山形テレビは独自の単発番組に力を入れる様になり、「なるほど・ザ・ワールド山形」等の単発特番も放送される様になりました。

しかし、悪い事ばかりだけで無く、この頃はOVAが不定期に深夜放送された事もありました。

 

唯一完全放送されなかった「ツヨシしっかりしなさい」

服部の死とゴチャゴチャネットの終焉

その為、何処の系列局か判らない編成と放送になり、視聴者を混乱させただけでなく、YTSは他地域のFNSと比較してフジテレビの番組がマトモに見られない不満を抱えました。


YBCの金曜21時台はTUY開局前はTBS系「ナショナル劇場」を4日遅れで番宣ネット、TUY開局後は朝日放送発・テレビ朝日系「素敵にドキュメント」と打ち切り後のつなぎ番組を同時ネットで放送していました。


1989年にTBS系TUY・テレビユー山形が開局し、一般番組は大分余裕が出来ましたが、当時のTBS系はアニメが弱くアニメ・特撮は余り期待出来なかったものの、テレ朝系列局のアニメを引き取ってくれた為、僅かながら余裕が出来ました。

そしてYTSでフジテレビ系木曜劇場が放送されるも、同時ネットと思いきや一週遅れの編成となり、半ばガッカリさせられました。

この前後にYTSは服部の計略で多角経営を強いられ、後の経営悪化の爆弾を残す事になり、フジテレビの鹿内宏明会長に経営支援を要請するも「経営が傾いたのは自己責任である」と言い経営支援を拒否された事は一部の人間しか知りませんでした。

失意のまま服部天皇は1991年3月14日に崩御。その死は痛みを伴う山形の変革の始まりとなりました。

他のフランチャイズチェーンやコンビニが相次いで進出し、他県との足並みが揃い始め、1992年には日本初のミニ新幹線・山形新幹線も開通しました。

山形のマスメディアの未来を憂慮した山形テレビの株主の1人で元酒田市長の相馬大作はある賭けを行いました。

「YBCの日テレとテレ朝のクロスネットを解消しないと山形のテレビ問題の抜本的な解決はない。その為には、多少の痛みと犠牲をも厭わない」と考え、YBCのクロスネットを解消し、YTSを本来のテレビ朝日系へ戻し、フジテレビ系第4局を作らせる事を考え、実行しました。

先ず、YTSの経営陣を朝日系の経営者へ交替させ、偶然にもフジテレビでも鹿内宏明失脚の経営陣クーデターが起き、その混乱に乗じてテレビ朝日系へのネットチェンジの準備を着々と進め、1993年にYTSをテレビ朝日系へネットチェンジしました。その際フジテレビのアニメが被害を受け

YTSの動き

ツヨシしっかりしなさい→そのまま打ち切りで2度と放送されなかった

サザエさん→TUYへ移行後SAYさくらんぼテレビで再ネット

キテレツ大百科→一度打ち切りの後TUYで再ネット

世界名作劇場→「大草原の小さな天使ブッシュベイビー」を以て打ち切り。以降の作品は、さくらんぼテレビ開局後に纏めてコンプリート放送

ドラゴンボールZ→一度打ち切りの後、TUYで再ネット。GT後半はさくらんぼテレビで放送

幽遊白書→一度打ち切り後、さくらんぼテレビ開局後にコンプリート放送

勇者特急マイトガイン→93年3月22日から午前中の帯枠で1〜8話を放送し、第9話からテレ朝全国ネットへ乗り入れ

朝日放送日曜朝アニメ枠→「GS美神」を初回からフルネット

YBCの動き

メタルヒーローシリーズ(当時は「特捜ロボジャンパーソン」)→YTSへ移籍するも、編成上の都合で、一週遅れネットの金曜日夕方5時に放送

クレヨンしんちゃん→同時ネットだったので、そのままYTSへ移行

スーパー戦隊シリーズ→「五星戦隊ダイレンジャー」の序盤でYTSへ移行

ドラえもん→日曜朝からYTSの全国ネット枠へ移動

美少女戦士セーラームーン→本放送より2〜3週遅れだったが、YTSでは「R」の4月放送分からフルネットへ乗り入れした為、Rの未放送回があった可能性あり。(そこまで調べられなかった為)

TUYの動き

勇者シリーズ→「伝説の勇者ダ・ガーン」を以て打ち切り、以後YTSへ移行

クッキングパパ→遅れネットに関わり無くYTSへ移行

サザエさん→さくらんぼテレビ開局迄繋ぎでネット

ドラゴンボールZ→GTの途中でさくらんぼテレビへ再移籍。無印DBも再放送された。

キテレツ大百科→こちら葛飾区亀有公園前派出所→さくらんぼテレビ開局で移籍


また、社会現象にもなった「新世紀エヴァンゲリオン」は1996年にYBCで平日夕方に番宣ネットされて、1997年10月~1998年3月に深夜枠で再放送までされました。
ちなみに、「新世紀エヴァンゲリオン」が放送された1995年~1996年当時はYTSのネットチェンジに対する反発がまだまだあり、「YTSがテレビ東京系にネットチェンジしていたら、山形県でもエヴァンゲリオンがリアルタイムで観られたのに」と悔しがっていた山形県のアニメファンもいました。


四局化したものの

さくらんぼテレビで悲願の四局化を達成し、一般番組は十分に恩恵を受けたものの、アニメはTBS以外の3局が軒並み放送局枠を減らし、同時期にテレビ東京系アニメが肥大化した事と、余り番宣ネットを組まなくなったので、アニメに関しては余り恩恵を受けませんでした。

何とも色んなゴタゴタがありましたね。