全国四局化運動で、地元民の熱意で四局化を果たした山形と、後一歩で達成出来なかった沖縄と大分と山口と富山と秋田と青森。この六地域は何が明暗を分けたと言えるでしょうか?色々考えてみます。


地元の熱意

やはり不慮の事態でフジテレビを失った山形県民の熱意がフジテレビを突き動かし、開局に漕ぎ付ける事に成功したのと、他地域は熱意があったかどうかと、キー局頼みの姿勢が明暗を分けたと言えます。


情勢の変化

やはりバブル崩壊で開局後の運営に不安があった事と、放送局側が対象地域の経済基盤の弱さと、開局後の経営に不安があった事で、日テレ系の沖縄南西放送、大分のフジテレビ系、または日本テレビ系、山口のフジテレビ系、富山のテレビ朝日系、秋田のTBS系、青森のフジテレビ系がそれぞれ実現せず、日テレは鹿児島を最後に、テレ朝は岩手を最後に、TBSは愛媛を最後にそれぞれ展開終了を決定した事も大きな影響があったと言えます。そして国民的巨匠だった故・藤子不二雄両氏の出身地にも関わらず富山にはテレビ朝日系列が開局せず、南西放送は数少ない開局する事なく倒産した放送局となりました。

大分県はテレビ大分に対し、フジテレビも日本テレビも何方もテレビ大分との関係を優先し、山口県と青森県のフジテレビ系は山口が山口放送とテレビ山口と二度も完全系列局化に失敗しただけで無く、区域外受信で地域に依っては山陰中央テレビ、テレビ新広島、愛媛放送、テレビ西日本が受信出来る事で代替可能だった事と、青森県は地元でも誘致の運動があったにも関わらず、フジテレビ上層部が「新局を作れば赤字が増える」と自ら断念した事で、大分、山口、青森の4局化が潰える事となりました。



結局、地元の熱意だけでなく、開局したとしても経済基盤や経営への不安、バブル崩壊で時勢が変化した事が明暗を分けたと言えます。