当方ブログの常連投稿者の山形のはっちゃんさんから、貴重な証拠を教えてくれました。



山形テレビのネットチェンジを決めた臨時株主総会で、反対意見が全く出ずに終わったのも、
フジテレビの鹿内失脚クーデター以前に山形テレビ内部でもクーデターが起きてきた
そうで、その首謀者が山形テレビの株主の1人・筆頭株主の相馬大作・元酒田市長の手引きによるものでした。
相馬大作は1971年から1991年まで5期20年に渡り酒田市長を歴任して、任期中には1976年10月29日に発生した酒田大火からの復興、酒田北港や庄内空港の整備に尽力しました。
相馬大作は1971年の酒田市長選に自民党山形県連など保守系勢力の支援を受けて立候補し、社会党など革新系が支援した現職の小山孫次郎を破り初当選しました。
相馬大作が酒田市長を歴任していたのは1971年5月から1991年4月で、山形テレビがフジテレビ系に所属していた期間と丁度重なります。
相馬大作が1971年の酒田市長選に立候補したのは、山形テレビの経営に相馬氏が介入するのを恐れていた服部敬雄・山形新聞グループ会長の薦めがあったとも言われています。
フジテレビの支援要請却下を受けて、相馬大作・元酒田市長はYTS山形テレビのフジテレビ系列からテレビ朝日系列へのネットチェンジを提案しました。
鹿内宏明元会長の解任クーデターと同じくして、YTS山形テレビも1992年6月24日の臨時社員総会で当時の今野秀孝社長と水井寅三郎会長がバブル期の事業多角化の失敗の責任を取る形で辞任し、後藤久弥社長に交代しました。
山形のはっちゃんさん指摘

成る程、ネットチェンジ前とフジテレビクーデター前に社長交替があったのですか。経営不振の責任という建前でフジ派を一掃し、朝日派を送り込んでいた訳ですね。
だから10月の株主総会がスムーズに進んだのも納得と同時に、日枝氏もフジテレビの体制固めに奔走して、此方へ回せなかった隙を突かれた様です。
正に「手の込んだ入れ様」と言え、相馬氏もテレ朝ネットワーク拡大運動の事は知っていたと思われ、それなら此方から売り込めばと考えたのかも知れません。
(某ユーチューバーは「山形県テレ朝新局建設」を主張していましたが、テレ朝側は当初は進出すら予定は無かったそうです。)
お陰でテレ朝は一局作らなくて済んだだけでなく、予定外のエリアを確保し、製作能力の高い地方局を入手すると言うかなりのお釣り以上の物を手にしたと言えます。
なお、後のさくらんぼテレビとなる山形第四民放局の周波数が1995年に割り当てられて、1996年2月に山形第四民放局の免許が交付されました。