当時、角界最強の部屋だった二子山部屋。処が、あの貴りえ騒動と破局が二子山部屋と藤島部屋の崩壊の発端だと主張する人も居ます。

ではその二子山部屋と藤島部屋の衰退と崩壊を振り返ろうと思います。

93年に貴乃花と宮沢りえさんとの婚約解消後、藤島親方の兄の第10代二子山が理事を引退すると同時に自ら第11代二子山を襲名。両部屋を合併した新たな二子山部屋が誕生しました。

翌94年に貴乃花が、98年に若乃花がそれぞれ横綱に昇進し、二横綱一大関三役2人の二子山部屋全盛期となり、11代二子山親方も96年に協会理事昇格し、同時に巡業部長に就任しました。

しかし、96年に合併の際の申告漏れが発覚し、二子山部屋の崩壊が始まり、同時に若貴の不仲も噂される様になりました。

2000年に若乃花は29歳で引退し、結局は相撲に興味が無く協会も脱退しました。

そして、親方の主治医と女将の憲子女史との不倫が囁かれ翌2001年に離婚。

2003年には貴乃花も引退し、二子山部屋を継承するも貴乃花部屋へ改称。中野にあった部屋に常駐せず、当時の景子夫人と共に品川のマンションに住みマンションから通勤していました。

そして、二子山親方の病気は悪化し、その時から藤島親方と貴乃花との対立も噂されました。

そして、親方の病気が口腔底がんである事が判明。一度は職務復帰しましたが、2005年5月30日に55歳で生涯を終えました。

その後貴乃花は兄や母、更に嫁とも別れ完全に1人となり現在に至ります。

関係者から貴りえ騒動の顛末が全ての不運の始まりでは?と言う人も居ます。