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岩手県、石川県、愛媛県、長崎県、彼等は過去民放局は2局のみでしたが、大手新聞社の綱引きで4局化を達成した逸話もあります。

 

岩手県の場合

県内民放第一号はIBC岩手放送(IBC)で、1953年12月25日に「ラジオ岩手」としてラジオ放送を開始。6年後の1959年9月1日にはJNN系列局としてTV放送も開始しラテ兼営化されました。

1969年12月1日には、県内2局目(初のアナログUHF局)となるテレビ岩手(TVI)が開局し、当初こそはNNNとANNのクロスネットでしたご、1980年4月にNNNマストバイネット局へ移行。岩手県のANN系列は16年半後の岩手朝日テレビ迄待つ事になりました。


1985年に岩手県第3民放局の構想が上がり、240件の免許申請がありました。 1991年4月1日には、県内3局目となる岩手めんこいテレビ(mit)がFNS系列局として開局(1975年10月1日開局のテレビ新広島(tss)以来15年半ぶりの新規開局)。mitは開局当初 - 1995年は本社機能を当時の水沢市(現:奥州市)へ置いていたが、これは(mitの設立に尽力した)当地出身政治家・小沢一郎の影響力によるものとみられています。やがてmitは利便性が高い盛岡市へ本社機能を完全移転したため、奥州市の旧mit本社は1999年に(当時所有していたフジテレビから)市側へ無償譲渡されて「めんこい美術館」に衣替え。旧水沢スタジオは地元コミュニティFM局の奥州エフエム放送が再利用しています。

なお3局目のmitが開局した段階で「岩手に第4局目のアナログ電波(当時)を割り当てる」旨が既に決定しており、その施策に則ってANN系列局となる県内最後発の岩手朝日テレビ(IAT)が1996年10月1日に開局(IATはANN系列国内最後発局でもある。同局の開局により東北6県全てにANN系列局が誕生した)。これにより岩手県は東北地方では宮城・福島に次いで3番目に、北東北で唯一民放TVが4局出揃って現在に至っている(mit・IATの主幹送信所・各中継局設備はアナログ時代から両局で共用)。

 

石川県の場合



県内民放第一号は北陸放送(MRO)で、1952年5月10日に「北陸文化放送」(ラジオ北陸)としてラジオ放送を開始。6年半後の1958年12月1日にはJNN系列局としてTV放送も開始しラテ兼営化されました(本州の日本海側では初の民間放送局)。

1969年4月1日には、県内2局目(初のアナログUHF局)となる石川テレビ放送(ITC)がFNS系列局として開局。アナログUHF送信所は自社敷地内に設置しました。

そして、1985年秋の改編でMROが編成上の都合でアニメ・特撮の番宣ネットを全て打ち切り、視聴者から反感を買われた為、石川県第三民放局開局の機運が高まり、同年に石川県第3民放局の構想が上がりました。

1990年4月1日には、県内3局目のテレビ金沢(KTK)がNNN系列局として開局。これにより本州では(ANNとクロスネットしているFBCを含め)NNN系列局が全て出揃った。アナログUHF送信所はITC本社近隣に設置しました。

これに対し朝日新聞も意地になり、1991年10月1日には、県内最後発となる北陸朝日放送(HAB)がANN系列局として開局。アナログUHF送信所はKTKと相乗りした。これにより石川県は北陸3県で唯一民放TVが4局出揃って現在に至っている(完全地デジ化後は野々市市へ独自にアナログVHF送信所を設けていたMROはITC本社敷地内へ、NHK金沢はKTK・HAB送信所へ主幹送信所を移転。ITCが自前で設置した送信所を基準として現在「在金全局の地デジ主幹送信所」として稼働。なおMRO・NHKの旧アナログTV送信所は現在もAM単独送信所として運用中)。

なおMRO・KTKは北國新聞、ITCは北陸中日新聞、HABは朝日新聞とそれぞれ繋がりが深い。

 

愛媛県の場合



県内民放第一号は南海放送(RNB)で、1953年10月1日に「ラジオ南海」としてラジオ放送を開始。5年後の1958年12月1日にはNNN系列局としてTV放送も開始しラテ兼営化された(当初はJNN系列に加盟する予定だったが、瀬戸内海周辺の中国放送(RCC)や大分放送(OBS)とサービスエリアが重複することやマイクロ回線の都合からNNN系列に加盟)。こう言った事情でTBS系列になれませんでした。

1969年12月10日には、県内2局目(初のアナログUHF局)となるテレビ愛媛(EBC)がFNN系列局として開局した。

1985年には愛媛県第3民放局の構想が上がり、1992年10月1日には、県内3局目となるあいテレビ(itv)が(JNN系列国内最後発局として)開局した(itv開局後も1993年9月まで一部のJNN系列の番組はRNBで放送)。この愛媛県第三民放局はテレビ朝日系にするか、TBS系にするかで揉め、一時はクロスネット案もありましたが、発起人が「TBS系マストバイにしたい」と言ったのと、愛媛県第四民放局の免許が降りた事からTBS系マストバイ局となりました。

1995年4月1日には、県内最後発となる愛媛朝日テレビ(eat)がANN系列局として開局。当初は1994年10月に開局する予定でしたが、諸事情で半年延期になりました。これにより愛媛県は四国で2番目に民放TVが4局出揃って現在に至ります。

 

長崎県の場合



県内民放第一号は長崎放送(NBC)で、1953年3月1日に「ラジオ長崎」及び「ラジオ佐世保」としてラジオ放送を開始。6年後の1959年1月1日にはJNN系列局としてTV放送も開始しラテ兼営化された。

1969年4月1日には、県内2局目(初のアナログUHF局)となるテレビ長崎(KTN)が開局した(開局当初 - 1990年9月30日はNNNとFNNのクロスネット、1990年10月1日よりFNNフルネット局へ移行)。

1985年に長崎県第3民放局構想が上がり、1990年4月1日に、県内3局目となる長崎文化放送(NCC)がANN系列局として開局した(NCCは朝日新聞のみならず地元紙の長崎新聞も資本参加していることから、ANN系列の平成新局の多くで採用している「○○朝日放送」や「●●朝日テレビ」という形の社名とはならず、地元資本を混ぜたのも地元での朝日新聞出資の批判回避の意味もあったと思います。)

1991年4月1日には、県内最後発となる長崎国際テレビ(NIB)がNNN系列局として開局。石川県とは逆に、明らかにテレビ朝日系=朝日新聞の進出に意地を張ったと言え、これにより長崎県は九州で3番目に(福岡・熊本に次いで)民放TVが4局出揃うと共に、KTNがNNNを脱退して以来半年振りにNNN系番組が長崎県でも直接視聴可能となりました。

また、一時は佐賀県との相互乗り入れも検討されていた噂もありましたが、テレビ長崎が日テレ系列になる事を拒否した事と、日テレが直々に開局する事となった為、この構想は頓挫しました。

Wikipediaのものを加筆修正


郵政省(現・総務省)の当初の予定では青森県、岩手県、秋田県、山形県、富山県、石川県、山口県、愛媛県、長崎県、大分県はとりあえず民放3局の予定でした。
岩手県は朝日新聞対産経新聞、石川県と長崎県は朝日新聞対読売新聞、愛媛県は朝日新聞対毎日新聞のお陰で4局化が実現しました。