発端

小学校6年生の時、月曜ドラマランドで「こにくらじいさん」が放送され、CMジングルが

こにくら♪こにくら♪こにくら♪こにくら〜♪

老人パワーの爆発だ♪

と聞き、父が「これフリクニフニクラの替え歌じゃねぇーの?」

と言われ、ジャリの私はピンと来ませんでした。

 

その後

 

ヴェスピオ火山のフニコラーレ

父の死後、ネットで検索していたら「フリクニ・フニクラ」があったではありませんか!

フリクニフニクラは1880年にヴェスピオ火山へ敷設したケーブルカー=フニコラーレの宣伝をした「世界初のCMソング」で、てっきり民謡だと思っていました。

 


音と映像がズレているのはご勘弁

様々な出来事

本作を知ったリヒャルト・シュトラウスは、これがイタリアに古くから伝わる民謡であると勘違いし、1886年に作曲した交響的幻想曲『イタリアから』(Aus Italien) に「フニクリ・フニクラ」のメロディーを取り込んでしまった。それを知ったデンツァはシュトラウスを訴えて勝訴し、以降この曲が演奏されるごとにシュトラウスはデンツァに対して著作権料を支払っていた。

グスタフ・マーラーの『少年の魔法の角笛』(1899年出版)中の「美しいラッパが鳴りひびくところ」が「フニクリ・フニクラ」に類似しているという指摘がある[2]

ニコライ・リムスキー=コルサコフの『ナポリの歌』作品63(1907年)も「フニクリ・フニクラ」の主題を使った管弦楽曲である。

アルフレード・カゼッラは『イタリア』作品11(1909年)の後半に使用している。リヒャルト・シュトラウスと異なってカゼッラはデンツァが作曲者であることを知っており、著作権の問題を解決した上で使用した。

アルノルト・シェーンベルクは1921年に室内楽用に編曲している(クラリネットギターマンドリン、弦楽三重奏)。

ハーマン・ベルステッド (Herman Bellstedtによる『ナポリ民謡の変奏曲』は、「フニクリ・フニクラ」の主題を使ったコルネットのための技巧的な変奏曲として知られる。

アネット・ファニセロ1960年発売のアルバム『ITALIANNETTE』で「Dream Boy」という曲名でアレンジしたバージョンをカバーした(1961年にシングルカット)。歌詞はシャーマン兄弟が新たに書き下ろした。

Wikipediaより引用

 



そして日本へ上陸

日本へは1961年に「登山電車」の題名でNHK「みんなのうた」で初採用され、それ以前の1923年に「鬼のパンツ」とメロディはそのままで別な曲となっていました。

そして、1984年夏に「こにくらじいさん」のCMジングルで替え歌が採用されました。