雑誌『広告』の記事の文末に掲載された一文

<カウアン・オカモト氏の会見によって、ジャニー喜多川氏による未成年への性加害問題がようやく日本の主要メディアで報じられた。タブー視されていた問題が実名会見で可視化され、長く閉じられていた「パンドラの箱」が開こうとしている>

ジャニー喜多川氏による未成年への性加害問題が、ようやくNHKと全国紙で報じられた。元ジャニーズJr.でミュージシャンのカウアン・オカモト氏が会見しニュースになったわけだが、ここに来るまで本当に長かった。

1999年に週刊文春が報じて以降、後追い記事はごく少数の雑誌媒体に限られ、新聞は裁判結果を最小限に取り上げただけ。テレビは完全無視を貫いた。結果、およそ四半世紀にわたって喜多川擴(ひろむ)氏による未成年(文春によると被害者には12歳も含まれている)への性加害は「なかったこと」にさせられていた。

ところで、ジャニー喜多川氏の本名は、喜多川擴(ひろむ)という。「ジャニー喜多川」という通名があまりに有名なためニュースでもそう呼ばれているが、本コラムでは敢えて本名を使ってみたい。というのも、「ジャニー喜多川」や「ジャニーさん」という通名を使った時点で、すでに相手の土俵に一歩引きずり込まれている感じがするからだ。

かの人物は、喜多川擴という名の一人の日本人男性に過ぎない。「ジャニー(Johnny)」という英語由来のニックネームには、彼が特別な人物であるという尊称のような響きがある。そもそもジャニーはジョンの愛称であり、性暴力加害者に対して親しみを込めた呼び名を使う必要はない。

喜多川擴氏による未成年への性加害が長い間「なかったこと」にされていたのは、彼が芸能界で絶大な権力を握り、メディアに強い影響力を行使していたためと言われている。

具体的には、カレンダーや広告、番組出演などを材料にしていたという。

出版業界では、今年は大手を含む9社が1部2700円ほどのジャニーズタレントのカレンダーを販売した。人気グループはそれが20万部も売れるらしいので、単純計算で売上は5億4000万円にもなる。カレンダー以外でもジャニーズが表紙を飾る雑誌や出版物は多数あり、決して敵に回すことのできない相手である。

テレビや新聞にとっても、喜多川擴氏の性加害問題を報じることで、所属タレントに出演してもらえなくなったり、タレントの出ている広告を取り下げられたりするリスクがあるという。少なくとも「リスクがある」と感じさせ、忖度をさせている時点で、ジャニーズ事務所によるメディア支配は十分に成功していたと言える。

 

博報堂が制作する雑誌『広告』の「忖度宣言」

広告代理店・博報堂が制作する雑誌『広告』最新号では、ジャニーズ事務所についての対談記事『ジャニーズは、いかに大衆文化たりうるのか』の末尾に以下の文言が掲載され、注目を集めた。

「本記事は、ビジネスパートナーであるジャニーズ事務所への配慮の観点から、博報堂広報室長の判断により一部表現を削除しています。」

『広告』編集長のnoteによると、広報室長と編集長の間ではギリギリの攻防があったという。また、記事中の対談者である批評家の矢野利裕も同じくnoteで削除に至った経緯を説明している。

「ジャニーズ事務所に配慮しています」とわざわざ記述することは、通常の記事や出版物ではあり得ないことだ。この一文を読んで、ジャニーズ事務所が喜ぶとは思えない。彼らとしては「公正中立を重んじ、特定の団体への配慮はしていません」などと言いながら、陰でコッソリ配慮されることを一番望んでいる。黙って削除すれば良いものを、堂々と「忖度宣言」を出している編集長は、ジャニーズ事務所から見れば物分かりが良くないワルイコである。

 広報室長は忖度宣言など掲載したくなかったはずだが、それでもギリギリOKしたのは、博報堂が広告を出稿する側であり、他のメディアに比べれば、ジャニーズ事務所に対して多少は強い立場にあるからだろう。新聞もテレビも雑誌も、ジャニーズ事務所を怒らせるのが怖くてたまらない。だから、先方が嫌がりそうな文章は、読者や視聴者には内緒で積極的に消しにかかる。あるいは、そもそも書かない。そうして「なかったこと」にする。

メディア業界で働く多くの人が、読者に内緒でコッソリ忖度するなか「私たちはジャニーズ事務所に忖度しました」と自覚して読者に公表するのは、今できる範囲の精一杯の誠意とも言える。忖度病が進行した状態の人や組織は、ついには忖度しているという自覚すら失ってしまうからだ。

幸いというべきか、本コラムを掲載しているウェブ媒体『Newsweek日本版』を運営するCCCメディアハウスはジャニーズ事務所との利害関係があまり強くないようで、カウアン氏の会見の全文文字起こし記事などを掲載している。当然、本コラムについてもジャニーズ事務所に対して特段の配慮はしていないはずだ。少なくとも、私はしていない。

私たちに今できること

ジャニーズ事務所に対して大手メディアが自動的に忖度し、報道機関としての役割を時に放棄すらしてしまうのは、組織的な問題や構造的な問題もあるのだろうけど、結局は「ジャニーズタレントに人気があるから」に違いない。

私自身、ジャニーズタレントの出演していたドラマを楽しみに見ていたこともあるし、カラオケで十八番にしている曲もある。容姿だけでなく、発言や態度なども含めてかっこいいと思うこともある。テレビに出ていると、つい見てしまう。

でも、今後はなるべく、不用意に拍手や声援を送るのはやめようと思う。もちろん、現在活躍しているタレントたちには何の罪もない。むしろ性加害を受けていた被害者である可能性が高いとも言え、かえって応援した気持ちにもなる。

だが、所属タレントを応援すればするほど、ジャニーズ事務所は権力を増し、性加害は「なかったこと」にされてしまう。そのような構造になっている以上、申し訳ないけれど、もう無邪気に応援することは私にはできない。

また、所属タレントのなかには社会的影響力が非常に大きい者や、ニュースキャスターとして社会に注意喚起するような立場の人もいる。

喜多川擴氏の性暴力を一種の必要悪として我慢し黙認してきた彼らは、被害者であると同時に加害者と利害が一致しているという、複雑な立場にある。それでも、性暴力を有耶無耶にする組織に所属していることは、紛れもない事実だ。そうした人々が企業のアンバサダーを務めることに私は少々違和感を覚えるし、ニュース番組で性犯罪について伝えたり語ったりすることなどできるのだろうか、とも思う。

『売れるためには権力者からの性暴力を受け入れなくてはいけない』という考えは明らかに歪んでおり、その価値観のなかで生きているタレントたちを応援することは、たとえどんなに功績が立派でも、結局は業界内の腐敗を進行させることになる。

所属タレントが出ているテレビ番組があれば、チャンネルを変える。CMに出ていれば、その商品はなるべく買わない。徹底することは難しいが、少しずつ意識してみてはどうだろう。それが私たちに今できることだ。

ジャニーズ事務所は報道機関からの取材に対し「コンプライアンス順守の徹底」、「ガバナンス体制の強化等への取り組みを、引き続き全社一丸となって進めてまいる所存」など、木で鼻をくくった定型文のような返答を繰り返している。性加害については一切触れず、問題から目を背けて「なかったこと」にしようとしている。

それはまさに、15歳のカウアン氏に性加害を行った後、喜多川擴氏が性的行為などまるで「なかったことのような雰囲気」で過ごしたのとよく似ている。

ジャニーズ事務所とその所属タレントたちが、喜多川擴氏の性暴力問題を「なかったこと」にする以上、私たちは彼らに「さよなら」を言わなくてはいけない。この問題は結局のところ、芸能界やメディアの問題である以上に、私たち自身に投げかけられた問題なのである。

喜多川擴氏が生んだ「夢」

カウアン氏は会見で、「僕の願いですけど、やっぱり全員出て来た方がいいなと思っていて」と語っていた。私もその呼びかけに微力ながら勝手に「MeToo」と応えたいと思う。私の場合はそこまで深刻な被害ではないかもしれないが、性別を問わず、性暴力をなくしたいという思いは同じだ。

私は例えば20代の頃、顔馴染みになったバーで中高年の男性店主から、ある時帰り際に突然下着のなかに無理やり手を突っ込まれ、陰部を触られたことがある。冗談半分のような雰囲気だったし笑い話にしても良いようなことではあるが、不快な出来事として今も記憶に残っている。

この程度のことは、よくあることなのかもしれない。でも、だからこそ性別や程度を問わず、性被害を公表することを殊更に特別視する必要はない。

喜多川擴氏から性加害を受けた元ジャニーズJr.の人々が、すぐ声をあげるかは分からない。だが、ジャニーズ事務所の権力は全盛期に比べると明らかに低下しており、今後もその傾向は続くだろう。主力タレントの離脱が続いており、事務所の抱える問題について語ることは、以前ほどタブーではなくなったように見える。

アイドルは、夢を売る仕事と言われている。少年たちへの性加害を繰り返していた喜多川擴氏は、数多くのアイドルを生み出し、人々を夢見心地にさせる天才だったに違いない。彼の生み出した夢には、人々に希望と勇気を与える美しい夢と、卑劣でおぞましい悪夢の二つがあった。

私が小学生の時に初めて聞いたジャニーズの曲に、こんな一節があった。

夢は止まらない 何処までも――。いや、そろそろ目覚めなくてはいけないだろう。

西谷格著・NEWS WEEK記事転載

 

ジャニーのジジイ、とんでもない事をしていたのか!今まで好き放題して日本の芸能界を駄目にした元凶を、これからは我々も奴等の傍若無人に対し声を挙げる必要がありますね!