早くもあいテレビと秋田朝日放送の開局が30周年を迎えました。

愛媛第三民放局と秋田第三民放局は共に全国四波化構想最初期の1985年に構想され、愛媛第三民放局は461件の免許申請が、秋田第三民放局は21件の免許申請がそれぞれありました。



あいテレビ30周年

元々は逆だった?

はい、当初愛媛第3局がテレビ朝日系とTBSとのクロスネットで、秋田第3局がTBS系マストバイになる筈だったと同時に、平成新局以前にTBSが直々に「秋田ホームテレビ」を開局する予定でした。

しかし、TBSは秋田県の経済力の弱さを理由に秋田県での系列局の開局に難色を示していました。

当時の佐々木喜久治秋田県知事も「秋田県の第三民放局の開局は時期尚早」と県議会で答弁していました。

更に秋田魁新聞のアホンダラ等地元勢力とTBSが共に難色を示し、この行為を潰えさせる事態が起き、そして愛媛第3局をTBS系にする交換条件として秋田第3局をテレビ朝日系にする行政指導に屈したと言えます。

その一方で、秋田テレビが短期間ながらテレビ朝日とのクロスネットの実績があった事と、三浦甲子二・元テレビ朝日専務が秋田県出身だった事も大きかった(2024.2.9・山形のはっちゃんさん指摘)と言え、その事が半年後の山形テレビネットチェンジ後も「クボタ民謡めぐり」継続ネットの一因となった、本当に地元のエゴイズムで滅茶苦茶になった一例と言えます。


AABはしんちゃんとのコラボ

一方のあいテレビは地元から受け入れられた反面、TBS系最終系列局となり、次に予定していた福井文化テレビジョンの開局を断念しました。

只、即完全TBS系となった訳ではなく、南海放送とTBSとの契約切れを待ってあいテレビへ移行した番組もありました。(本音は南海放送もTBS系を希望していましたが、中国放送と大分放送と電波が重複した為、断念した経緯もあります。)


歴史にifは禁物ですが、愛媛第3局がテレ朝系だったら、秋田第3局はTBS系新局か、秋田放送が元々望んできたTBS系になり、第3局が日本テレビ系「秋田讀賣テレビ」になっていたかも知れません。