愛媛あいテレビ開局と言う外的要因と、秋田の地元局の泥試合と言う内的要因でテレビ朝日系となってしまった秋田第三民放局。

秋田第三民放局はTBS系も昭和末期に「秋田ホームテレビ」として候補に挙がっていましたが、TBSは秋田県の経済力の弱さを理由に秋田県での系列局の開局に難色を示していました。
当時の佐々木喜久治秋田県知事も「秋田県の第三民放局の開局は時期尚早」と県議会で答弁していました。

秋田第三民放局がテレビ朝日系になったのは、三浦甲子二・元テレビ朝日専務が秋田県出身だったことも大きく影響しました。三浦甲子二は長崎県生まれで、生後間もなく秋田県の親戚に養子に出されました。(2024.2.9山形のはっちゃんさん指摘)

 

一番平和だった方法はこうすべきでした。

秋田第三民放局を日本テレビ系「秋田ホームテレビ」か「秋田讀賣テレビ」として開局し、秋田放送はTBS系へネットチェンジする

 

これなら一番揉めなかった筈で、改めて悔やまれる展開となりました。