所謂平成新局と呼ばれるテレビ局に於いて未開局に終わった地域も少なくなく、福井第三民放局、山陰第四民放局、徳島第二民放局、佐賀第二民放局、宮崎第三民放局、沖縄第四民放局になる筈だった日本テレビ系南西放送がそれぞれ未開局に終わりました。

福井第一民放局FBC・福井放送はラジオ開局時にABC・朝日放送の支援を受けたため、テレビも朝日放送が当時加盟していたTBS系で開局する予定でしたが、石川県との県境に近い地域でMRO・北陸放送が視聴可能だったことやスポーツ中継の人気から日本テレビ系で開局しました。


福井第二民放局FTB・福井テレビは当初はフジテレビ系とNET(現・テレビ朝日)系のクロスネット局として開局する予定でしたが、NET(現・テレビ朝日)との交渉が決裂したため、フジテレビ系で開局しました。
(2024.3.18・山形のはっちゃん指摘)

福井文化テレビジョンは福井県の第三民放局として開局する予定で、日本テレビ系とテレビ朝日系のクロスネットである福井放送とフジテレビ系の福井テレビの過密ネット解消の為、TBS系として開局する予定でした。


処が運悪く1991年以降TBSの経営が悪化し、更に昭和の秋田ホームテレビや恐らく徳島や佐賀と同様「当該地域の経営基盤が弱い」事と、人口規模の少なさを理由に、止めはTBSを滅茶苦茶にした磯崎洋三の鶴の一声で呆気なく、福井県での系列局の開局は取りやめになりました。


その後も開局を模索するも…



TBSの進出断念を受けその後、福井第三民放局はテレビ朝日系列での開局も検討されていましたが、テレビ朝日はバブル崩壊後の不況の影響からIAT岩手朝日テレビを最後に系列局の開局を断念することを決めた為に、福井県でのフルネット局の開局を断念しました。


福井第三民放局が実現しなかったのは、栗田幸雄福井県知事(当時)の政治力が不足していたためとも言われています。


もしTBS系で実現していたら当時の岩手、山形、富山、山陰、愛媛、後の高知に似た体制になり、逆にテレビ朝日系だったら秋田に続ぐ日本テレビ・フジテレビ・テレビ朝日の3局体制になっていたかもしれませんでした。