TBSの経営悪化に伴う92年再建・改革の功労者にして戦犯の磯崎洋三。既に2004年8月25日に他界しましたが、ここではTBS社長時代の4年間を振り返りたいと思います。



1991年に田中前社長が損失補填の責任を取り辞任した後を受け就任し、経営が悪化したTBS再建の為に改革を実行します。

しかし、それは

金の掛かる番組を切り捨て、特定のジャンルを肥大化させた

非常にアンバランスな編成と言え、大型バラエティー番組だった「ギミア☆ぶれいく」や、折角他局並みの水準になったアニメで人気番組だった「ドラゴンクエスト・ダイの大冒険」が打ち切られ、入れ替わる様にバラエティー番組や情報番組が肥大化する様になりました。


名番組を次々と切る

ゴールデンの長年の顔だった「クイズ100人に聞きました」、「坂東英二のワイワイスポーツ塾」、「わくわく動物ランド」、「クイズダービー」、「カトちゃんケンちゃんのごきげんテレビ」、「テレビ探偵団」を次々と打ち切り、視聴者を引き離す結果となりました。



TBS映画部を潰した元凶

ゴールデンタイムのアニメ枠が潰されたせいで、アニメ「少年アシベ」と特撮「電光超人グリッドマン」はローカルセールス枠の放送を余儀なくされただけでなく、MBS担当だった「まんが日本昔ばなし」も全国ネットから引き上げられ、TBSからゴールデンタイムのアニメが姿を消す羽目にはりました。そして、その代替えに土六が設定されましたが…。

翌1993年に視聴率低迷を理由に水曜ロードショーを打ち切り、TBS映画部は事実上壊滅しました。そして、1995年スタート予定だった「ウルトラマンネオス」も、製作のスタジオとのトラブルと放送枠が取れず、敢えなくお蔵入りとなりました。


悪評だったミクロコスモス

肥大化の果てに

そして、その映画枠跡に入れた「情報スペースJ」は水曜日と言う時間帯が災いし、苦戦しましたが、オウム真理教ことオウムショッカーのテロ事件報道で一躍主力番組となり、夜7時の1時間バラエティーも他局も追従する様になり、更に機首期末拡大スペシャルも増え、バラエティーと情報番組が肥大化する様になりました。

そして、オウムショッカー絡みの出来事が致命傷になるとは…


止めを刺したTBSビデオ問題

それは89年にオウムショッカー幹部に坂本堤弁護士のビデオを観せた事が暗殺事件の引き金となったと言う問題で、坂本弁護士一家はオウムショッカーに暗殺される事態となりました。

これを認めた事で一転して、TBSの信頼は地に堕ち、スペースJは不祥事も発覚し打ち切りとなり、磯崎氏も社長を辞任し、

「報道のTBSは死んだ」

結果となりました。


磯崎改革=92年再建計画が失敗したのは

バラエティーや情報番組等を肥大化させた

と言え、その後もTBSの没落は続き、09年に二度目の再建計画を実施するもこれまた失敗に終わり、その前の04年に磯崎氏も他界し、「振り向けばテレ東」は現在でも続いているのかも知れません。

その反面、磯崎体制下でもSBS・静岡放送やMBC・南日本放送が自社制作能力の高さを発揮して視聴率三冠王を獲得するなど、決して悪いことばかりではありませんでした。