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あれから30年が過ぎましたが、石川の方は元々2局しかなく、85年以降MRO・北陸放送がアニメ・特撮の番宣ネットを廃枠にした為、視聴者からのブーイングが凄まじかった事から新局設置が要望され、前年に日本テレビ系テレビ金沢が開局し、読売新聞と朝日新聞との意地の張り合いで石川第四民放局は1989年に割り当てられて、156件の免許申請がありました。
石川第三民放局は日本テレビとテレビ朝日が進出を争いました。
日本テレビ派は北國新聞が支援したのに対して、テレビ朝日派は北陸中日新聞が支援しました。そして、石川県第三民放局は日本テレビ系テレビ金沢として1990年4月に開局し、1991年に石川第4民放局開局として北陸朝日放送の開局と相成りました。そして、藤子不二雄巨匠の出身地にも関わらず富山第四民放局も、福井放送のネットチェンジも、福井第三民放局もどちらも敵わず、テレビ朝日系北陸三県唯一の放送局となりました。

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一方の青森第三民放局は1985年に構想されて、111件の免許申請がありました。青森第3民放局は、地元では当時視聴率トップだったフジテレビ系の系列局が希望されていましたが、テレビ朝日の前身NET系列時代に青森テレビのマストバイ局を短期間務めた実績と、フジテレビ側も青森進出や新局設置に消極的だった事から、なし崩し的にテレビ朝日系となりました。
青森テレビは会社設立段階ではTBS系・フジテレビ系・NET(現・テレビ朝日)系のトリプルネットで開局する予定でした。その後、経営上の判断からTBSとNETのクロスネットで開局しましたが、1975年の腸捻転ネットチェンジでTBSメインとなりました。
これで1975年から続いた青森放送に於けるクロスネットが解消され、15年ぶりにNET→テレビ朝日が青森に帰って来る事になりました。
この前の長野、そして今回の石川、青森と1年間で新局3局の快挙は当時は驚き、翌年、悲願だった日本シリーズ全国中継権を勝ち取る事になりました。