約束通り昨日の続きを書きます。
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YTS・山形テレビ 1993•4•1編入(1970•4•1フジテレビ系として開局)
何度かブログに取り上げている放送局にして、唯一のマストバイ編入局。当初はテレビ朝日の前身だったNET系マストバイネットで開局する予定だったのが山形のドン・服部敬雄の横槍で懇意だったフジテレビ系にされた経緯があり、「山形のナポレオン」、「山形のヒトラー」の異名通り、マスメディアを都合良く弄った一幕であった。
バブル期にFM山形とテレビユー山形の開局に危機感を抱き多角経営を行うも全て失敗し、フジテレビに支援を求めたら当時の会長・鹿内宏明が銀行出身で金銭管理に厳しい人物だった為経営支援を断られ、1991年に服部が死去した事を期に朝日新聞が介入。経営陣交替等を行い経営支援を取り付ける代わりにテレビ朝日系へのネットチェンジを行いました。
当時、視聴率トップにしてテレビ界のキングだったフジテレビの番組が観られなくなり、視聴者から猛反発を喰らい視聴率も低迷し、経営も一時期悪化しました。
しかし、歪な編成が解消され地元地域密着を強化し、他局と遜色のないラインナップが揃った事で、結果として経営改善された処か、2010年代には視聴率トップを回復ました。
「勇者特急マイトガイン」を3月22日から31日に掛け平日午前中の帯放送枠をフル活用し第一〜八話を放送し、「美少女戦士セーラームーンR」はYBC山形放送から移籍する際に数話未放送が発生(恐らく2回分と思われる)し、全国ネットに飛び乗る苦労がありました。
 

YAB・山口朝日放送 1993•10•1開局
山口第三民放局は全国四波化構想最初期の1985年に構想されて、132件の免許申請がありました。
此方もフジテレビと進出を争い、フジテレビが消極的だった事が幸いし、フジテレビに競り勝ちました。何と言っても開局当初から地元情報番組が放送されており、一線を画していた反面、平成ガンダムは未ネットに終わりました。(再放送枠で纏めて放送した可能性もあり)
 

OAB・大分朝日放送 1993•10•1開局
大分第三民放局は1985年に構想されて、108件の免許申請がありました。
此方もテレビ大分の超過密編成を解消し、地元ではある程度歓迎されました。そう、開局から20年以上過ぎた現在でもOABを観る事が出来ない地域が残っており、今後の課題と言えます。
EAT・愛媛朝日テレビ 1995•4•1開局
 一度は第三民放局開局でTBS系に敗れるも、愛媛第四民放局は1992年に割り当てられて、92件の免許申請がありました。
そして、愛媛県で四局化を達成し、過密編成の解消に貢献しました。

QAB・琉球朝日放送 1995•10•1開局
沖縄第三民放局は1992年に割り当てられて、7件の免許申請がありましたが、沖縄県の体力の問題から琉球放送内に一局二波方式で開局し、テレビ朝日サイドも「沖縄だけは何が何でも進出する」と言う執念の結晶となりました。
EAT・岩手朝日テレビ 1996•10•1開局
岩手第三民放局はフジテレビとテレビ朝日が進出を争いました。しかし、岩手第四民放局をテレビ朝日系にする事でフジテレビ系に決まりました。
岩手第四民放局は1992年に割り当てられて、31件の免許申請がありました。テレビ岩手は1969年12月の開局から1980年3月までは日本テレビ系メイン・テレビ朝日系サブのクロスネット局でしたが、1980年4月に日本テレビ系に一本化しました。
テレビ岩手が日本テレビ系に一本化した1980年4月から岩手朝日テレビ開局直前の1996年9月まで岩手県は「モーニングショー」→「スーパーモーニング」が全国で唯一放送されませんでした。
 ANNネットワーク拡大運動最終局で、当初は東京の都市博覧会開催に合わせ1996年4月に開局する予定でしたが、都市博中止の影響で半年延期になり、半年間テレビ朝日の番組の殆どが観られなくなる事態が起きました。当初から四局化が決まっていたものの、やはり放送エリア拡大に時間が掛かりました。