20年前の今日、ANN系最終系列局となった岩手朝日テレビが開局した日でした。
1996年10月1日に開局。 開局時のキャッチフレーズは「いつも、すぐそば。」であった。
ANN系列のフルネット局としては24番目の開局であり、現在同系列で最後の開局となっている。このテレビ局の開局により、東北6県全てにANN系列のフルネット局が開局したこととなった。2021年6月現在、東北6県すべてに系列局がある民間放送のテレビネットワークはANNとNNNのみである。
県内の民放テレビでは4番目の開局で、最後発。新聞社との関係は資本・ニュース取材を中心に朝日新聞との繋がりが強い。同社からの出向社員も受け入れて来た経緯がある。
いわゆる「平成新局」の典型で、バブル崩壊後に設立されたため、初期投資を抑えた状態での開局を余儀なくされた。スタジオは最小限のものしか持たず、支社・支局網も少なく、アナログ放送中継所網も特に沿岸部において難視聴地域が多い状態で開局を迎え、アナログ放送においては難視聴地域が多く存在していた。
中継所網は、地上デジタル放送においては、NHK・先発3局と同数の規模で中継局が設置され、残りの難視聴世帯でも有線放送によりカバーされるため、アナログではなしえなかった100%県内全域カバーを事実上果たしている。
送信所などの建物はフジテレビ系列の岩手めんこいテレビ(mit)と共同建設されている。これは、岩手県の民放テレビ局第3局であるmitが開局する時、岩手県の民放テレビ局第4局がテレビ朝日系列としてその後に開局することが決定していたため。
以下略 Wikipediaより引用
実は後半年早く開局する予定だった
岩手第四民放局は1992年に割り当てられて、31件の免許申請がありました。それまでの在岩民放局の動きは、テレビ岩手は1969年12月の開局から1980年3月までは日本テレビ系メイン・テレビ朝日系サブのクロスネット局でしたが、1980年4月に日本テレビ系に一本化しました。
テレビ岩手が日本テレビ系に一本化した1980年4月から岩手朝日テレビ開局直前の1996年9月まで岩手県は「モーニングショー」→「スーパーモーニング」が全国で唯一放送されませんでした。フジテレビ系についても、IBC岩手放送が「小川宏ショー」の番宣ネットを1980年3月に打ち切ったほか、「夜のヒットスタジオ」や「プロ野球ニュース」は岩手めんこいテレビ開局まで放送されませんでした。
IAT・岩手朝日テレビは当初は「世界都市博覧会」に合わせる形で1996年4月に開局する予定でしたが、開局準備の遅れや当時の青島幸男・東京都知事による都市博中止の影響で半年遅れの1996年10月に開局しました。
その為、TBS系IBC岩手放送と、日本テレビ&テレビ朝日のクロスネットのITVテレビ岩手では共に、半年前の96年春にテレビ朝日系の番宣ネットを打ち切ってしまい、岩手では半年間テレビ朝日系の番組が観られない事態が起きました。
マスコットのゴエティ
開局20周年特別番組の案内
岩手の4局化は当初から決まっていた訳ですね。最も当初構想ではテレビ朝日も山形県を除く東北5県のうち開局済みの宮城、福島を除く青森、秋田、岩手へ進出する予定だった事になりますね。まぁ、予定になかった山形(その一方で願わくは入手したい意向はあった)に放送局が来た事で、テレビ朝日系は東北全県制覇を達成した事になります。しかし、山が多く難視聴地域も多かった為、岩手県全域に広がるまで時間が掛かりましたね。
ANNネットワークが完成した結果、東高西低のネットワークとなり、東日本地区は充実した反面、西日本地区はネット局を増やしたにも関わらずやや弱い地域となってしまいました。