20年前の今日、岡山県の片上鉄道が廃止された日でした。

歴史

柵原鉱山で産出される硫化鉄鉱吉井川の川舟(高瀬舟)に代わって片上港まで輸送する目的で建設され、1923年1月に片上 - 和気間が開業した。次いで8月に和気 - 備前矢田 - 井ノ口(貨)間が開業。1931年2月、井ノ口 - 柵原間が開業し(井ノ口駅は廃止)全線開通した。柵原鉱山からの鉱石輸送のほかに沿線住民の足として旅客営業も行われていた。尾小屋鉄道三岐鉄道とともに、陸運統制令の枠外として他社への事業統合を免れ、青梅鉄道群馬鉄山専用線などと違い国鉄買収の対象にもならなかった。

 


こうして収入の多くを占めていた柵原鉱山の鉱石輸送は円高などによる国内産硫化鉄鉱の需要減で産出量が減ったため、トラックに切り替えられ、鉄道経営が成り立たなくなってしまった。会社側は肥料輸送や旅客列車の減便などで生き残りを図ったが、沿線は人口が希薄で過疎も進みつつあったため乗客は減り続けた。さらに末期には、当時『時代村』などのレジャー事業も行っていた大新東が経営を引き継ぎ、観光鉄道として再生させるプランが持ち込まれたがバブル崩壊で実現せず、万策尽きる形で1991年7月1日に全線が廃止された。(営業運転は6月30日まで)

Wikipediaより抜粋

 

鉱山鉄道故に鉱物の採掘が終わればほぼ用済みだったかも知れず、観光鉄道としての復活は叶いませんでしたが、保存鉄道としては復活するのでした。